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「寮のルールを守らないどころか…」青学大が学生を「記録優先」でスカウトしていた頃…原晋監督と妻が“箱根駅伝”予選会惨敗で考えたこと
text by
原美穂Hara Miho
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/03 06:01
青山学院大を箱根強豪校へと変貌させた原晋監督
高校の先生の指摘は正しかった。その子は、寮のルールを守らないどころか、周りに悪影響を与えるようになりました。しかし陸上の実力はぬきんでているので、先輩もあまり強く言えない。
結局、この年の新入生は歯が抜けるように辞めていきました。もちろん残った子もいたのですが、実力者が抜けていくことには不安を覚えたでしょう。16位という結果に終わったのには、こういった背景があったのです。3年間の努力は水泡に帰したような気がしました。
「あと1年あれば…」原監督と妻が抱いていた予感
でもそれよりも強かったのは、ここであきらめたくないという思いでした。今、辞めるなんて、誰にでもできます。どん底で投げ出すのは、楽でもあります。あと1年やらせてもらえたとしても、やっぱり箱根には届かなくて「こんなことならあのとき辞めておけばよかった」と思うかもしれません。
40歳を目前にした監督も、新しい仕事を探すなら、1日でも早いほうがいいはずです。でも、そんなことよりもわたしは、毎日頑張っているこの子たちを、どうしても箱根に出してあげたい。あと1年あれば、それもできるのではないかと思っていました。
4年目には、監督の就任と同時に入学・入部してきた子たちが最上級生になります。1年生のときからずっと一緒にやってきた彼らなら、箱根に届くのではないか。その思いは、半ば願望でもありましたが、半ば、根拠のあるものでもありました。陸上を知らなかったわたしも、3年かけて少しずつ学んでいました。来年ならいけるかも、という予感があったのです。
大学理事たちの前で、必死のプレゼン
監督は大学の理事たちを前に、あと少しで箱根に届くところまできている、学生たちも厳しい寮生活にたえて頑張っている……、と必死にプレゼンをしました。また、この年に最上級生になった学生たちも、原監督と一緒に箱根に出たい、もう1年原監督でやってほしいと大学に言ってくれました。こうしてようやく、1年間の任期延長を手にしました。
学生と監督とわたしの「このままでは終われない」という強い気持ちが、箱根駅伝にまた挑戦できるチャンスをもたらしたのだと思います。
<続く>