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“J3降格”の古巣監督就任「今こそ恩返しをする」森保一とミシャ、西野朗や長谷川健太に学び…“有能説”の中で片野坂知宏が挑んだトリニータ再建
text by
ひぐらしひなつHinatsu Higurashi
photograph byEtsuo Hara/Getty Images
posted2023/12/04 11:01
大分トリニータ時代の片野坂知宏監督(2018年撮影)
トリニータに行けば完全にチームを任され、自らの判断に基づいて、その哲学を思う存分ぶつけることが出来る。その魅力は、なんとも抗い難いものに感じられた。
一方で、もしもチームがJ3に降格すれば、来季は絶対に1年でのJ2復帰をノルマとして課せられるはずだ。そのノルマを達成できなかったときのことを想像すると、やはり体がすくむ。どのような戦力が揃うかの見通しも立たない状況でそれを引き受けることは、あまりにリスキーだった。
これは僕の知っているトリニータではない
迷いながら見ていると、完全に負のスパイラルにハマっているトリニータは無残に敗れ続ける。
これは僕の知っているトリニータではない、と片野坂は胸を痛めた。
かつては片野坂自身、トリニータの選手としてピッチに立った時期がある。初めて移籍加入した2000年は石﨑信弘監督の下、キャプテンを務めながら公式戦6試合に出たのみで8月にガンバへと移籍してしまったが、2002年のベガルタ仙台での1シーズンも経て、2003年、もう一度トリニータに戻った。怪我もあって出場したのは11試合のみだったが、小林伸二監督からも厚い信頼を得る。
そのシーズンかぎりで現役を引退してからはクラブに残り、最初の2年間は強化部スカウトとして働いた。3年目にU-15のコーチになったのが、片野坂の指導者人生のスタートラインだ。その年のうちに早速、S級ライセンスを取得。指導者になりたてでこれは異例の早さで、クラブからの期待の大きさも感じられたのだが、その翌年、片野坂はトップチームのコーチにステップアップするかたちでガンバへと籍を移したのだった。
J3降格も〈J1で戦えるところまで引き上げよう〉
S級ライセンスを取らせてもらった恩義をいまだ返さずにいることも、ずっと気がかりでいた。いま、ボロボロになっているトリニータを立て直しに行くことは、自分の使命なのではないか。
深い逡巡の果てに、片野坂は来季のカテゴリーがJ2とJ3のどちらになってでも、監督就任のオファーを受けようと決意を固めた。
2015年のJ2リーグを4連敗フィニッシュして21位となったトリニータは町田ゼルビアとのJ2・J3入れ替え戦に臨むと、片野坂が息を詰めて見守る中、アウェイでもホームでも敢えなく敗れ、力尽きたようにJ3へと転がり落ちた。