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“J3降格”の古巣監督就任「今こそ恩返しをする」森保一とミシャ、西野朗や長谷川健太に学び…“有能説”の中で片野坂知宏が挑んだトリニータ再建
posted2023/12/04 11:01
text by
ひぐらしひなつHinatsu Higurashi
photograph by
Etsuo Hara/Getty Images
2015年晩秋、トリニータからの監督就任オファーを前に、片野坂は逡巡していた。
当時、トリニータはJ2で激しい残留争いの真っ最中。外から見ているかぎり戦力は十分に揃っており、現在の順位が妥当とは思えない。だが、どんなに戦力が充実していても、ひとたびボタンを掛け違えれば何が起きるかわからないのがチームというものだ。おそらくいまのトリニータもそんな状態なのだろう。ここでJ2に踏みとどまれるか、それともJ3に転落してしまうか。その瀬戸際を、チームは危なっかしく揺れ動いているようだった。
ガンバのU-23チーム監督の就任が内定していたが
この時点ですでに、片野坂は当時トップチームのヘッドコーチを務めていたガンバ大阪で、来季発足するU-23チームの監督への就任が内定していた。ガンバと言えばJリーグ屈指のビッグクラブ。ビッグスポンサーの支援をバックに潤沢な予算に恵まれ、外国籍選手や日本代表級のプレーヤーも多く擁して、毎年のようにJ1の上位争いに食い込んでいる。
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実際に片野坂もコーチやヘッドコーチとして、リーグ戦やカップ戦でいくつものタイトルを獲得してきた。U-23監督として好結果を残せば、自ずといずれトップチーム監督への道も拓けてくる。
とはいえU-23チーム。いくら監督とは言ってもトップチームの戦術を踏襲することになる。この2年間、ヘッドコーチとして支えてきた長谷川健太監督のことは敬愛してやまないが、指導者としての道を歩みはじめてちょうど10年、自分の中にも確固たるサッカー哲学が輪郭を成しつつあると、片野坂は感じていた。
西野、ミシャ、森保からの学びが血肉に
2007年から3シーズンはガンバでサテライトチームの監督を兼任しながら、コーチとして西野朗監督に。2010年に移籍したサンフレッチェ広島では、やはりコーチとして最初の2シーズンをミハイロ・ペトロヴィッチ監督に、もう2シーズンを森保一監督に。
再び戻ったガンバでの長谷川監督の右腕としての仕事も含め、4人の名将から学び自らの中で咀嚼したものが、徐々に吸収され血肉になってきた体感がある。