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「東大野球部エリートはサラリーマンになっても優秀か?」平均年収1500万円超、就職人気企業へ…東大野球部→三菱商事→ローソンストア100社長のスゴい人生
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/11/26 17:26
写真はこの秋の東大野球部。法大戦で、東京六大学リーグ2季ぶりとなる白星をあげ、マウンドで喜ぶ松岡由機投手(4年)
「高橋由伸さんの打球は左打者なのに、ショートゴロでもトップスピンがかかって伸びるんです。『こんなの取れないよ』と思う打球でしたね。私も運動能力には自信がありましたが、スター選手の凄さを痛感しました。川上憲伸さんはストレートもさることながら、変化球も曲がりに気づかないほどのキレがありました。外角のストレートに手がでず、三振だと思ったら審判がボールと言うんです。どうやら、ホームベース付近でキュッと曲がってボールになったらしいのですが、曲がったことにすら気づきませんでした。そういう驚きの連続でしたが、神宮の舞台で彼らと戦えたのは一生の思い出です」
なぜ三菱商事に就職したのか?「新聞テレビは惨敗だった」
だが、何かを得るためには、何かを捨てねばならない。学部というより、野球部に入った感覚でいた佐藤は、覚悟を決めていた。
「大学で4年間野球をやり遂げるためには、野球中心の生活にならざるをえないですから、農学部へ進学したんです。農学部キャンパスは野球部のグラウンドから近くて便利ですし。ただ、それでもなかなか単位が足りず、5年間大学に通いました。5年目の学費は引っ越し、塾の講師、家庭教師のアルバイトをして自分で稼ぎましたよ」
野球部を引退し、単位をバリバリ取得した佐藤は就活に勤しむことになるが、ここで悩んだ。高校から大学に進む際には、「野球をやりたい。野球をやれる場所はどこか」という明確な判断基準があったが、社会人になるにあたっては、なにもなかったのだ。
「社会人として自分が何をしたいのかわかっていなかったし、正直に言うと、そのタイミングで自分の進む道や業界を決めたくないという気持ちがありました。一方では、就職しなくてはいけないという意識もありましたから、とりあえず人生の可能性が広がりそうな会社がよかろうと。そうなると総合商社なら、幅広い可能性があるだろうと考えたんです」
この守備範囲が広い名ショートは、野球部生活を直接的に活かせるスポーツ記者という就職先も考えたが、テレビや新聞社などの面接ではものの見事に惨敗だったそうだ。
「就職活動を開始するまで、大学では4年間野球ばかりでしたので、社会情勢や政治について全然知らない。付け焼刃の知識では役に立たず、集団面接では他の学生の見事な受け答えに圧倒されて、これは無理だなと愕然としましたよ。当然、選考もすぐに落ちました。その一方で三菱商事だけは、なぜかポンポンと決まりました」
あっさりと落ちた新聞・テレビ業界は、いまはインターネットに押されて青息吐息。かたや磨けば光ると見抜いた三菱商事が、絶好調を続けているのだから、皮肉なものだ。
「合弁事業の解消」
三菱商事に入社後、佐藤はITなどに関連した情報産業グループへ配属希望を出す。当時はインターネットが普及しはじめ、ネットの時代を予見したからだ。
「私は農学部でしたから、面接の際には『グローバルな食料関係の仕事をしたい』と言っていました。おそらく会社のほうもそのつもりで採用していたはずですが、卒業を待つ身になると、気持ちが変わってきました。自分の将来のことを真剣に考え、世の中が少しずつ見えてきて、これからはインターネットの時代だ、三菱商事でこの分野の新しい仕事をしたいと考えたんです」