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「なんで私だけ?」石井優希が苦しんだ“中田久美の秘蔵っ子”としての重圧…涙する毎日を救った木村沙織のLINE「わがままになっていいんだ、と」

posted2023/11/26 11:01

 
「なんで私だけ?」石井優希が苦しんだ“中田久美の秘蔵っ子”としての重圧…涙する毎日を救った木村沙織のLINE「わがままになっていいんだ、と」<Number Web> photograph by Naoki Morita/AFLO SPORT

リオ五輪を終えた後、新体制となった日本代表では苦悩の時間もあった石井優希(写真/2018年世界バレー)

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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Naoki Morita/AFLO SPORT

 昨季限りで現役を引退した、元女子バレーボール日本代表・石井優希(ゆき/32歳)。今稿では久光や日本代表で指導を受けた中田久美監督、そして苦悩の時に支えにした木村沙織の言葉について明かしている。【NumberWebインタビュー全3回の2回目/『引退決断の真相と結婚』編へ続く】

 13年間の現役生活を振り返ると、一番のいい思い出と苦しい思い出は表裏一体だと言う。

「リーグなどで優勝した時はすごく嬉しかったんですけど、それまでの日々の練習はしんどくて、精神的につらいことがすごく多かったですね。毎日、朝を迎えるのが嫌だった時期もありました。特に中田久美監督の時は厳しかったので……」

 石井優希のバレー人生は、久光スプリングス(当時は久光製薬スプリングス)と日本代表で監督を務めた中田久美の存在なくして語れない。

重圧を感じていた若手時代「今思えば充実していた」

 就実高校から久光に入った石井は、層の厚いチームの中で2年目までレギュラーをつかめずにいた。しかし3年目だった2012-13シーズンに久光の監督に就任した中田は開幕戦から石井を先発に抜擢。まだ荒削りで波があった石井を我慢強く起用しながら、就任1年目からリーグ優勝を果たし、翌年には連覇を達成した。

 石井にとっては輝かしいブレイクだったが、毎日が重圧との戦いだった。

「周りが(新鍋)理沙さんとか(岩坂)名奈さんとか(長岡)望悠とか、日本代表でもレギュラーで活躍していたり、結果を出している選手ばかりだったので、そこについていくことに必死でした。自分さえやればチームが勝てると思っていましたが、私がいつもサーブで狙われて、そこでサーブレシーブが返らなければバレーにならない。久美さんにも『優希が崩れなければチームは勝つ』と言われていたのでかなりプレッシャーはありました。

 でもやっぱりポジションは取られたくなかったし、厳しい練習だったんですけど、今思えば充実はしていたなと。毎日、『私、アスリートやってんな』みたいな感じでした」

 そこから日本代表にも定着していき、眞鍋政義監督にはディグ力やパワーあふれるスパイクを買われて2016年のリオデジャネイロ五輪に出場した。

「足を引っ張ってしまった」と自身のプレーには悔いが残ったが、五輪の舞台には魅了された。

「ああいう独特な雰囲気の舞台で戦うのが初めてで、すごく興奮しました。だから、『もう一回出たい。次の東京五輪には自分が引っ張って出る』という思いになりました」

【次ページ】 日本代表でも“怒られ役”に「なんで私だけ?」

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