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「なんで私だけ?」石井優希が苦しんだ“中田久美の秘蔵っ子”としての重圧…涙する毎日を救った木村沙織のLINE「わがままになっていいんだ、と」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNaoki Morita/AFLO SPORT
posted2023/11/26 11:01
リオ五輪を終えた後、新体制となった日本代表では苦悩の時間もあった石井優希(写真/2018年世界バレー)
リオ五輪後、中田が日本代表監督に就任。秘蔵っ子である石井にとっては追い風になると、周囲からは思えた。だがそう簡単なものではなかった。
中田は、互いによく知る久光の選手を軸にチーム作りを進めようと、岩坂を主将に選び、新鍋や石井にも中心選手として期待した。だが、他チームの選手よりも遠慮なく言いやすい分、石井に対する当たりが強くなったのだろう。石井の中で不満が積み重なっていった。
「バレーじゃないところでつまずいてしまいましたね。久美さんとしては、久光の選手に中心となって頑張ってほしいという熱があったと思う。私がその期待に応えられていない部分もあったと思うんですけど、『この人には言わないのに、なんで私だけ?』と思うことがあったり(苦笑)、言われていることが腑に落ちなくてモヤモヤして、ワーッと思いをぶつけたこともありました。
怒られ役というのは久光の時から理解していたんですけど、それが代表に行っても続くんだ、と思ったら……。久美さんが久光時代から育ててくれて、私の性格も知った上で厳しくしてくれていたのもわかるんですけど、当時の自分は受け入れられなかった。大人になれなかった部分もあったと思います。2017年はそんな感じだったので、アジア選手権ではメンバー外になった。みんなを応援する気にもなれないぐらいずっと病んでいて、毎日、内瀬戸(真実)の部屋に行って泣いていました(苦笑)。あの年が一番精神的にきつかったですね」
“憧れ”だった木村沙織の言葉に救われた
そんな石井を救ったのは、リオ五輪を共に戦った元エースの言葉だった。
「それまでは、両親だったり、周りの人が喜んでくれるから自分も頑張れる、と思ってやっていました。でもその頃、たまたま木村沙織さんとLINEをする機会があって、その時に『自分のためにやったらいいんだよ』と言われたんです。他の人から言われたらそんなに大きく捉えることはなかったかもしれないですけど、沙織さんだから、その言葉がすごく沁みて……。吹っ切れたというか、『自分のためにやろう』と思いましたね。
沙織さんは学生時代に憧れていた選手でした。私はオールラウンダーになりたかったんですが、沙織さんはまさにサーブレシーブもディグもできて、頼りになるエースだったので。代表で一緒にコートに立てたことはすごく嬉しかったですし、沙織さんのプレーをよく見ていました。その沙織さんの言葉で、『周りに気を取られすぎず、わがままになっていいんだ』と思うことができました」