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「“結婚するから引退”ではない」元バレー代表・石井優希が“失意の東京五輪”を終えた後も現役を続けた理由〈ホヤホヤ新婚生活も明かす〉
posted2023/11/26 11:02
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Naoki Nishimura/AFLO SPORT
石井優希が、東京五輪前に感じていた不安要素とは――。
それは五輪開幕の約1カ月前まで行われていたネーションズリーグで感じたものだった。
日本は予選ラウンドで勝ち星を重ね12勝3敗の3位でファイナルラウンドに進出。準決勝でブラジル、3位決定戦でトルコに敗れたが4位という結果を残した。ただ、ミドルブロッカーとリベロ以外はメンバーが固定されており、先発メンバーを大きく入れ替えたのは11戦目のアメリカ戦と、ファイナルラウンド進出決定後の15戦目セルビア戦だけだった。
「ネーションズリーグに入る前に、この大会はオリンピックメンバーの選考の場になると言われていたので、みんな必死でした。でも勝つためにメンバーを固定されたので、やっぱり不満を持つ選手も出てきます」と石井。
メンバーを初めて大きく変えた試合が当時世界ランキング1位だったアメリカ戦。ベストメンバーで臨んでも勝つのが難しい相手だからメンバーを変えたのだろうと、控え選手たちがネガティブに捉えてしまう空気になっていた。
「メンバーに選ばれたいとみんな必死だからこそ、ネガティブに捉えてしまうところもあったと思います。メンバー選考もある中で、チームのまとまりを作ることはなかなか簡単なことではありません。レギュラーとレギュラー外、選手とスタッフそれぞれの思いに少しギャップがあったのかもしれません」
「どういう顔していいかわからなかった」
そんな中で迎えた東京五輪では、初戦のケニア戦は3-0で勝利したものの、その後セルビア、ブラジル、韓国、ドミニカ共和国に4連敗し、予選ラウンド敗退となった。
石井自身は、「自分にできることをしようと開き直ってやっていた。本当に東京五輪が最後だから出し切ろうと思ってやったので、後悔はない」と振り返る。だが、突きつけられた結果はつらいものだった。
「25年ぶりの予選ラウンド敗退なので、立場がなくて……。五輪のあと、どういう顔をしてバレー関係の人と会っていいのかわからなかった。チーム(久光スプリングス)に合流するのも気まずかったですね」