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松田宣浩が本音で語る“プロ野球界への疑問”「恵まれすぎ…野球が変わりつつある」最後の1年は巨人二軍…なぜ浅野翔吾を絶賛したのか 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byMiki Fukano

posted2023/11/13 11:03

松田宣浩が本音で語る“プロ野球界への疑問”「恵まれすぎ…野球が変わりつつある」最後の1年は巨人二軍…なぜ浅野翔吾を絶賛したのか<Number Web> photograph by Miki Fukano

今シーズン限りで現役を引退した松田宣浩がロングインタビューに応じた

 幼少期から憧れたユニフォームに袖を通したときは武者震いがした。

「歴史が一番ある球団。ファンの皆さんも長く応援されている方も多いから、平日なのに球場はいつも満員でした。だからこそ、やりがいもある。このユニフォームを着て東京ドームで活躍したい。そういう思いにさせてくれるのは伝統があるからだと思うんです」

 結果的に巨人のユニフォームで華々しい活躍をするという夢を叶えることはできなかった。引退を決断して会見でも引退試合のセレモニーでも涙が溢れて止まらなかった。通算2000本安打の大台に残り168本まで迫っていたし、2000試合出場まで78試合、1000打点にも残り9打点と大記録も見えていた。

名選手が“二軍で過ごす”現実

 それでも松田はニカッと笑顔を浮かべて、さらりと言ってのけた。

「2000本や1000打点への執着なんて何もないですよ。僕はとにかく40歳までやって、その中でどれだけの数字を残せる選手だったのか、自分で知りたかっただけ。それで1832安打、301本塁打、991打点で終わった。十分です。逆に、もし2000本安打を打っていたとしても、40歳まで出来ずに引退していたら、そっちの方が僕はつらかったと思う」

 記録よりも記憶に残る選手になりたい。それはずっと松田の口癖だった。

「そう、だから40歳までやれたんだと思います。40歳の次にこだわったのが試合に出ることでした。そのなかで数字(成績)には重きを置かなかった。たとえば3割とか30発とかを目標にしてしまうと、そこに届かなかったときに気持ちがキツくなる。試合に出続けるくらいの選手になれば、必ず数字はついてくるんです。その点、30代後半になってからは守備固めを出されて途中で交代したり、ベンチスタートの試合も多くなりました。そこに対する悔しさは持ち続けていた。常にプレーボールからゲームセットまで出続ける気持ちは持っていました」

 その思いとは裏腹に、今年5月17日の誕生日で40歳を迎えた松田のプロ最後の1年間はファームで多くの時間を過ごした。

【次ページ】 「未来がある」浅野翔吾をなぜ絶賛?

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