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松田宣浩が本音で語る“プロ野球界への疑問”「恵まれすぎ…野球が変わりつつある」最後の1年は巨人二軍…なぜ浅野翔吾を絶賛したのか
posted2023/11/13 11:03
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Miki Fukano
スポーツ界でも科学が重宝される時代である。「猛練習」などという言葉はもはや死語に近いのかもしれない。
そこへ行くと松田宣浩は、22歳のルーキーだった頃、夕暮れのグラウンドでユニフォームを真っ黒にして1時間、いや2時間はぶっ通しでボールを追いかけた。その記憶を頼りに18年間のプロ野球人生を駆け抜けたのだった。
「40歳までプレーできるぞ」入団直後の松田宣浩
「プロに入って最初の宮崎キャンプ。今はホークスでコーチになった同期入団のポンちゃん(本多雄一)と一緒に、いつもサブグラウンドで居残りノックを受けていました。ノッカーだった当時の一軍コーチ・森脇(浩司)さんから『体力と技術をつけるんだ。そうすれば40歳までプレーできるぞ』という言葉を浴びながら。それから“40歳まで”の言葉が僕の中でずっと抜けなかったんです。30歳になっても、35歳になっても、この思いだけは全然変わらなかった」
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昨年、39歳だった松田は17年間在籍したソフトバンクから構想外を告げられた。「ホークスで終わるというのが理想だった」。引退するか、退団して現役を続行するか悩む中で、「泥の味」を思い出した。ルーキー時代にノックでグラウンドに倒れこんだ、あの情景を。
「40歳まであと1年……」
ソフトバンク退団を決めて自由契約となった松田に一番早く声をかけたのが巨人だった。プロ野球という過酷な世界で生き残るために一本気に野球と向き合ってきた男への、神様からの贈り物だったのかもしれない。
巨人で過ごした「最後の1年」
「滋賀県出身なので阪神タイガースの中継も当然ありましたけど、我が家は『劇空間プロ野球』だった。たまたま一家が巨人ファンで、野球と出合わせてくれて、小学校2年生で野球というスポーツに夢を持った時から巨人ファンでした」