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プロ野球PRESSBACK NUMBER
5球団競合ドラフト1位で「1年目からプレッシャーがあった」ソフトバンク→日本ハム移籍でブレーク、田中正義29歳が振り返る6年間の苦闘
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySankei Shimbun
posted2023/11/07 11:01
今年1月、人的補償でソフトバンクから日本ハムへ移籍した田中正義。2016年ドラフト1位の右腕がソフトバンクでの6年間を振り返った
当時すでに日本ハムで二刀流の活躍を見せていた大谷翔平(現・エンゼルス)とは同学年。即戦力として期待が高まる中で3月に入り右肩の違和感を覚え離脱。思えばこれが、その後長く続いたトンネルの入口だった。ルーキーイヤーは一軍登板なし。翌18年にはリリーフでプロ初登板を含む10試合に登板したが、6本塁打を浴びるなど苦しい結果に。その後も右肩の痛みや右肘の疲労など故障に悩まされ、一軍で活躍できない時間が続いた。
「断続的に痛くなって、また戻ってという繰り返しのような感じでした。肩に関しては精密検査をして画像をとっても別に何かあるわけではない。それでも痛みが出てしまう。ちょっと痛いくらいなら無理してもやるんですが、投げられないくらいの痛みを感じていましたね」
叩いても叩いても、壊れそうにない壁
手術などで劇的に改善する方法が見つからず、試行錯誤を繰り返す日々。プロ4年目は一軍登板なしに終わり、5年目を迎えても活路は見えない。この時期について田中は「一軍で投げるというイメージが全く湧かないという時もあった」と振り返る。
「叩いても叩いても、壊れそうにない壁が目の前にある感じですね。上も見えないし、すごく分厚く見えるし。こんなのどうやったら壊れるんだろう、って。でもこの先に進まなければ、一軍のマウンドなんて見えてこない。登るしかない、練習するしかない。ただただそういう景色の毎日でした」
壁の正体
ソフトバンクはその間、4年連続で日本シリーズに出場。三軍まで分厚い選手層を誇る常勝軍団ゆえに、自分に対しプレッシャーをかけてしまった部分もあるのだろうか。
「実際に乗り越えないといけない壁もありましたし、自分がわざわざ勝手に、大きく見積もりすぎていた壁もあったと思います……」
暗中模索のなかで、突如訪れた「人的補償」での日本ハム移籍という転機。新天地で覚醒のきっかけとなったある出会いとは――。
〈続く〉