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日本ハムがドラフト6位指名もJR東日本へ…“最後の指名拒否”山口裕次郎は駅員になった 本人が明かす、その後の野球人生「どれが正解か分からなくなって…」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byYu Saito

posted2023/11/04 11:04

日本ハムがドラフト6位指名もJR東日本へ…“最後の指名拒否”山口裕次郎は駅員になった 本人が明かす、その後の野球人生「どれが正解か分からなくなって…」<Number Web> photograph by Yu Saito

シフトで決められた泊まり勤務の後、多忙な中、取材に応じてくれた山口裕次郎さん。今年から都内で駅員として勤務

「自分の腕の位置がここだと思って投げていて、いざ映像を見てみると全然できていなかったり下がっていたり。それで、大げさに上に上げると、映像はよくなるけど、自分としては凄い違和感があるというか……。その違和感は最後まで消えませんでした」

プロどころか、来年野球ができるかどうか

 一度はまった負のスパイラルから抜け出すのは至難の業だ。特に繊細さが求められる投手というポジションならなおさらだ。最速146キロを誇った直球は、130キロ台前半まで失速。ドラフトが解禁される高卒3年目での指名はかなわず、4年目の春先には高校時代の古傷である腰椎分離症が再発した。数本の骨にはひびが入っており、投球はおろか、まともに練習することさえできなかった。

 思うような結果が出せず、5年目ぐらいからは、「プロどころか、来年野球ができるかどうか」と考え始めるようになった。そして迎えた6年目。年数で言えば、上から2番目の古株になっていた。

「JR東日本は平均的な年齢も年数も若くて、結構入れ替わりが激しいチーム。6年目になって、そろそろ肩を叩かれるかもという意識はありました」

「一緒の時期やな」…お互いに「お疲れ様」

 そしてシーズン終了後の2022年10月。監督から勇退を告げられた。入社以来、チームとして毎年出場したアマ最高峰の大会・都市対抗野球のマウンドに一度も立つことなく、現役生活を終えた。もがき苦しんだ6年間。くしくも、高校時代に競い合った寺島成輝さんがヤクルトを戦力外となり、引退を表明したタイミングと同じだった。

【次ページ】 悔しい気持ちはありましたけど…

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