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駒大苫小牧“あの最強時代”から17年…香田誉士史52歳に直撃「高校野球に復帰する?」かつて大阪桐蔭の西谷浩一は語っていた…「勝ち逃げはずるい」
posted2023/09/28 11:04
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Kei Nakamura
北海道で“駒大苫小牧以外”は「違和感がある」
――もう覚えてないかもしれませんけど、社会人野球の指導者になるとき、香田さんが「最後は北海道に戻って高校野球をやりたい」って言ってたんですよ。奥さんが北海道出身の人で、あちらこちら連れまわして迷惑をかけたのもあるし、と。今もその思いは変わっていないのでしょうか。
香田 まあ、北海道に家もあるしね。自分を育ててくれたのは高校野球だし、最後は、その高校野球に恩返ししたいという思いもある。ただ、あくまで選択肢の1つであって、縁があれば、という感じかな。
――駒大苫小牧と戦うことになるかもしれないというのも抵抗がありますか。
香田 というか、北海道で駒大苫小牧以外のユニフォームを着るというのは、ものすごく違和感があるな。駒澤大学を出て、駒澤の人間でもあるし。どこの地域の、どんなチームでもいいんだけど、イメージが湧かないというのは嫌なんだよな。
――駒大苫小牧を辞めて、鶴見大学のコーチを4年間、やっていた時代もありました。あの頃は、けっこう高校野球の監督の依頼があったんですよね。
香田 あったね。西部ガスに来てからも、コーチ時代は、そういう話はあった。監督になってからは一度もないけど。ただ、タイミング的に、その気はまったくなかったから。魅力を感じたチームはなかったかな。
――今の状況、今の心境で同じ話がきていたら、また感じ方も違っていましたか。
香田 かもしれないね。
――香田さんは高校1年生と大学3年生の男の子がいますけど、2人とも野球部の寮に入っているんですよね? ということは、場所的な制約はほぼないわけですか。
香田 ないね。うちの奥さんは、福岡暮らしがすっかり気に入っているので、単身で行くということも考えてる。野球部の寮みたいなものがあるチームだったら、そこに入れてもらってね。
高校野球を離れて15年…指導は変わる?
――高校、大学、社会人と、段階的に大人の野球の指導者を経験して、これでまた高校に戻るとしたら、指導方法は以前とはずいぶん変わりそうですか。