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甲子園「幻の3連覇」あの香田誉士史は今…北海道で駒大苫小牧、社会人野球を“やはり強くした”本人が語る「西部ガス監督は最後」の決断
posted2023/09/28 11:02
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Kei Nakamura
西部ガス監督を退任へ
――まずは、この秋の日本選手権を最後に西部ガスの監督を退かれるとのことですが、なぜそのような決断に至ったのでしょうか。
香田 2012年にチームが発足して、そこからコーチを5年半、監督はもう丸6年やったわけだから。社会人野球の監督って、5年でも長い方。自分の周りでも、この6年で、ばんばん代わってる。西部ガスのOBが指導者になっていく流れをつくりたかったからね。ちょうどいいタイミングかな、と。しかも、おれも、もう52(歳)でしょう。
――駒大苫小牧で12年、西部ガスでも12年。65歳を定年と考えると、もう一度、冒険するなら、今かなと?
香田 そうだよね。いろいろ経験したことを、また別のチームでやったら、どうなるのかな、と。人生でそういうチャレンジができるのも、もう何度もないからね。
――次のチームは、もう決まっているのですか。
香田 いや、まったく白紙。それを決めた状態で戦うというのは、今のチームに失礼じゃない。そういうことはしたくないから。今後、どうするかは11月の選手権が終わってから考えるよ。
全国で初勝利、都市対抗ベスト8も
――もう一時代前の話になった感覚もありますけど、香田さんは、2004年から2006年まで、夏の甲子園で駒大苫小牧を3年連続、決勝に導いて、優勝、優勝、準優勝。雪国のチームが高校野球で勝つことなんて考えられなかった時代だけに、驚きました。その香田さんが社会人野球の監督になったら、新参チームをいきなり全国優勝させるとか、またびっくりさせてくれるのかなと勝手な期待を抱いていたのですが。もちろん、全国大会の常連チームになりましたし、それだけでも大変なのでしょうけど。