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武豊が「一緒に乗れるのは感慨深い」全盛期27歳で落馬事故、左目を失った“高知の隻眼ジョッキー”がJRAの大舞台に立った夏
text by
井上オークスOaks Inoue
photograph byOaks Inoue
posted2023/09/10 17:01
8月下旬、札幌競馬場で再会を果たした武豊と宮川実(高知)。じつは同じ時期にケガからの復帰を目指していた繋がりがあった
2009年5月2日、高知競馬場の第4コーナー。宮川騎手の騎乗馬が、脚を故障してガクンとよろめいた。突然ダートコースに投げ出される。スピードに乗った後続馬は、宮川騎手を避けられなかった。
命に関わる怪我ではなかった。だが、左目の視力を失った。もう馬に乗ることができないかもしれない……。若者は病室でふさぎこんだ。
師匠である打越初男調教師とその妻の繁子さんは、宮川騎手にとって家族のような存在だ。毎日のようにお見舞いに訪れた繁子さんが、かつて高知競馬場に、田代幾治という隻眼の騎手がいたことを教えてくれた。宮川騎手と同じく左目の視力がなかったという。絶望の淵にいた若者に、希望の光が差しこんだ。
「それを聞いて、『片目でレースに乗れるんだ』と思いました」
レースに乗りたいけれど…
退院してスーパーなどへ買い物に行くと、距離感をつかめず、すれ違う人とよくぶつかった。視野の変化に戸惑いながらも、リハビリを兼ねて、馬に乗って厩舎まわりを歩く乗り運動を始めた。
「馬に乗るのが一番早いんじゃないかなと思って」
事故から3カ月後には、コースで馬を走らせる調教に乗り始めた。幸いなことに、馬上でのバランス感覚は失われていなかった。以前と同じように馬を走らせる姿に、誰もが驚愕した。
しかし宮川騎手は様々な葛藤を抱えていた。調教とレースは危険度が違う。レースに乗りたいけれど、もしみんなに迷惑をかけてしまったら……。どうしても思い詰めてしまう。
高知の仲間たちは、心の優しい宮川騎手が大好きで、また一緒にレースに乗りたいと願っていたし、なんだって協力しようと思っていた。片目のハンデも、実なら克服できるかもしれない。
豊さんは「実は大丈夫か?」
当時、高知では現役唯一の2000勝ジョッキーだった西川敏弘騎手は「実がやるんやったら、俺は応援するき。がんばれ!」と力強く励ました。赤岡騎手は「実が乗りたいと思うちゅうがやったら、乗ったらええ」と言って、明るく後押しした。
赤岡騎手は当時のことをこう振り返る。