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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ああ、終わっちゃうんかあ」大谷翔平“あの最後の1球”の後ろで…“小指骨折”源田壮亮はこう思った「あれから…源田選手ですか?が増えました」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2023/09/05 11:04
西武ライオンズ、源田壮亮選手(30歳)。大谷翔平“あの最後の1球”の後ろで、源田が感じていたこととは?
準々決勝・イタリア戦の試合前。先発メンバーを発表する最中、栗山監督がこちらに向き問いかけた。「源ちゃん、手、大丈夫ね?」。力強く頷いた源田に待っていたのは「8番・ショート」の先発出場。背筋が伸びた。
「あの場で初めて(先発出場を)知りました。イタリア戦以降は負けたら終わりだったんで、もう、手がどうのこうのなんて全く考えていなかった。もう、絶対やってやるぞという気持ちだけでした」
第4打席の7回1死一、三塁の場面では、148kmの内角高め直球をはじき返してライト前に運び、リードを広げた。塁上では珍しくガッツポーズ。守備、走塁も難なくこなして、快勝でチームは決戦の地・アメリカ行きのチケットを手にしたのだった。
コンちゃんの骨折治療器
1次ラウンドから5連勝と波に乗り、プライベートジェットで羽田空港からマイアミへと移動した日本代表だったが、空の旅の間にはこんなエピソードも。
「飛行機の中でも十何時間、ずっと治療をしていました。持ち運べる治療器なんですけど、コンちゃん(近藤健介・ソフトバンク)が私物を持ってきていて『源さん、使ってください』って貸してくれたんです。でもその治療器、搭乗する時の手荷物検査で引っかかって、めっちゃ調べられていましたよ。何が動力なのかとか、電源はどうなっているのかとか、全部細かく調べられて。それにしてもそんな物を持っているコンちゃんも凄い。さすが、一流選手は違うなぁ(笑)」
「失敗したら日本に帰れないな」
無事到着したマイアミの地で、源田は生涯忘れ得ぬ2試合を戦うことになる。準決勝・メキシコ戦は常に相手に先行を許す苦しい展開。3−3の同点と一度は追いつきながら、再び2点ビハインドとなった8回、無死一、二塁で源田が打席に立つ。バントを試みて2球失敗したが、栗山監督のサインは「スリーバント」。重圧がかかる次の1球をお手本通りに転がして成功させ、山川穂高(西武)の犠飛をお膳立てした。