酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
高卒2年目で完封初勝利も「実はわき腹痛が」25歳で3度の戦力外通告のち引退…現アマ指導者・木下達生が語る“プロ野球生活の天国と地獄”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/02 17:01
2007年、日本ハム時代の木下。当時身を置いていたプロの世界の過酷な競争を語った
実は左のわき腹に痛みを感じていた
高卒2年目での完封初勝利にはメディアも注目した。ヒルマン監督は「今日の試合は木下に尽きる」と絶賛。日本ハムはここから14連勝し、その勢いに乗って一気に首位に立った。木下コーチもローテーションの一角を担ったが、実はこの時、右わき腹に痛みを感じ始めていた。
〈まだ一軍に上がる前に、利き腕と反対の左のわき腹が痛くなって、トレーナーさんに「ローテーションを1回飛ばしていいですか」と言ったのですが、その矢先に一軍昇格の話が出たんです。僕は「ちょっと考えさせてください」と言ってトレーナーさんと相談したんですが、コーチから「一軍に上がる機会はみんなにあるわけじゃない。本当に大事な機会なんだ」って言われて、挑戦したんです。そして完封したのですが、そのあとから今度は、右のわき腹が痛くなったんです。
でもよく見ていると、一軍の投手ってみんな痛み止めを飲んで投げていました。投げられるのなら投げようと思ったのですが、初完封してからちょうど1カ月後の交流戦、広島戦で、3回までに3失点したんです。まだ投げさせてもらえると思ったら、次の回に代打を出されました。次の登板予定は西武戦だったんですが、ローテを外されました〉
そこからの木下氏は佐藤コーチと話し合って投げ込みをしたり、ファームの試合に登板などしていた。全力で投げられるようになった時期もあったが、あるファームの試合での登板で「右わき腹が完全に飛ぶ」状態になってしまった。
木下氏の2007年の成績は、5登板2勝1敗30回11奪三振、防御率2.40、高卒2年目としては立派な成績だったが——日本ハムでは以後、一軍で投げることはなかった。
〈肋間筋の肉離れか滑液包炎と言われたんですが、両方とも違うんじゃないかとも言われました。治るまでに2年かかりました。
今では野球選手にとって、わき腹痛は厄介だと知られていますが、当時はそうでもなかったんです。ときどき投げられるようになるので、1回投げるとまた元に戻るんです。どうしようと思ってメンタルクリニックにも行きましたし、最後はお祓いにも行きました〉
戦力外→トライアウトを経て中日と育成契約
2010年10月に戦力外通告を受けた木下は、西武ドームでの12球団トライアウトを受けた。木下コーチは先頭に四球を出したものの、以後、3者連続三振を記録。最後の打者も中飛に打ち取り、会場から大きな拍手を浴びた。トライアウトでの記憶を木下はこのように語る。