甲子園の風BACK NUMBER
「高嶋先生が『智弁和歌山のせいです』って…」強豪校敗退続出だった今夏の地方大会“番狂わせの震源地”のその後…心機一転のリスタートを追う
posted2023/09/01 17:18
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
Hideki Sugiyama
夏の甲子園が終わったばかりの8月下旬。和歌山県下高校野球新人戦(秋の一次予選)に臨む智弁和歌山は、今秋の公式戦2戦目を迎えていた。
試合は粉河を相手に14―0の5回コールド勝ちをおさめた。試合後、ベンチ後ろに現れた中谷仁監督に新チームの現状を尋ねたのち、今夏のことに恐る恐る触れてみると、中谷監督は自嘲気味にこう口にした。
「高嶋(仁=前監督)先生が(今夏の和歌山大会の)一発目の解説の時に“智弁和歌山のせいです!”って言っていたんですよ。あのニュースのせいで全国のチームがやりにくくなったって(苦笑)」
強豪校の敗退が続いた今夏の甲子園地方大会
今夏の地方大会では7月8日に一昨年夏の甲子園16強の盛岡大付(岩手)が初戦で敗れたという一報に衝撃を覚えたが、そのわずか1週間後の7月15日に、智弁和歌山が県大会初戦で高野山に2-4で敗れたというニュースが高校野球界を駆け巡った。それから全国で強豪校が大会序盤で涙を飲むニュースが幾度も伝えられた。
智弁和歌山は昨夏まで(新型コロナウイルス感染拡大により中止となった20年を除き)5年連続甲子園に出場し、今夏ももちろん優勝候補筆頭に挙げられていた。
チームとして、県大会の初戦敗退は22年ぶりの屈辱だった。
だが、中谷監督は不思議な顔をせず、こんなことを明かしてくれた。
「僕も高校に入学して、さあやるぞという夏に初戦で負けたんですよ」
指揮官が智弁和歌山1年生だった95年夏。第77回和歌山大会の初戦で、当時2年生ながら注目を集めていた強打者・浜中治(元阪神)がいた南部に6-7で敗れていた。
その頃、1年生ながらメンバー入りしていた中谷を始め、喜多隆志(元ロッテ・現興国高監督)や清水昭秀(法大→日本通運)ら、有望な同級生が智弁和歌山に揃っていた。