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「衝撃的だった」黄金世代の10番・本山雅志が語る小野伸二とワールドユース決勝「あの大会でパッと頭に出てくる思い出といったら…」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2023/08/27 11:04
1999年ワールドユースで準優勝した黄金世代のメンバー。右から播戸竜二、本山雅志、小野伸二、高原直泰、稲本潤一
「過酷という言葉じゃ表現できない。ホテルの部屋は暑くて、ダニとか蚊とか凄くて、眠りたいのに眠れない。同部屋だったミツも起きていましたよ。きれいな水が出ないから洗濯しても余計に汚れてしまうこともあって、そのまま洗わないこともありました。期間としては1週間くらいでしたけど、自分に必要な体験だったかなと思います」
世界には厳しい環境で過ごしている人も少なくなく、自分たちがいかに恵まれているかを知った。サッカーをやれる喜びも感じた。
心身を充実させて臨んだワールドユース。大会では慣れていない左ウイングバックを任された。本山のドリブルを、周りもチームのストロングポイントとして使うようになっていた。あの細かく指示を出すトルシエも、本山には自由を与えていた。自分の意思で中に入っていこうが、何も文句は言われなかった。
「あの大会でパッと頭に出てくる思い出といったら…」
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グループリーグでは初戦、カメルーンに敗れたものの、アメリカ、イングランドに勝って1位通過。ポルトガルをPK戦で制して8強に進出し、メキシコとの準々決勝では前半4分、右サイドからのクロスに飛び込んだ本山がヘッドで先制点を奪った。チームは準決勝でウルグアイを破り、スペインの待つ決勝へ駒を進めた。だが4点を奪われて完敗を喫し、準優勝に終わった。
「本当にまとまりがあったし、大会のなかで成長していきましたよね。流れが悪いなとなったら誰かが声を上げていました。ゲームを読める選手も多かったので。
でもあの大会でパッと頭に出てくる思い出といったら、スペインに負けたこと。全体的に浮き足立ったところは確かにあったかもしれないけど、僕は結構シュートを打ったなかで2本の決定機を外してしまった。ちゃんと決めておけば、というのはずっと心に残っています。ただ負けはしたけど、全然手が届かないという感じもなかった」
東福岡時代からワールドユースに至るまでの間、本山が急激な成長の過程にあったことは言うまでもない。同じ世代に切磋琢磨できる仲間たちがいたから、競い合って自分を高めることができた。
いい仲間がいれば、自分にとっていい環境にしていけば、そして自分も努力していけば、チームも自分もレベルを上げていける。
そして18年間に及ぶアントラーズでの日々によって、その信念はより強固なものになっていく――。
<第2回に続く>