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「外資系コンサル+アメフト」の超合理的指導がヒント?… “偏差値70超え”難関国立大の弱小チームがスポーツ推薦ゼロで「日本一」に挑んだ話
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by左:東京都HPより/右:取材対象者提供
posted2023/08/26 11:01
「超難関国立大」として有名な一橋大学(左)のアメフト部が2007年、日本一に挑んだ際のエースランニングバックの渡辺裕介(右)
その日のプレーを振り返るビデオチェックでは、1年生でも容赦なく理詰めの指摘が飛んできた。
「なんでこっちに走ったの?」
「どうしたらこのプレーができるようになると思う?」
「理由がないならどうしてこう動いたの?」
しかも、それだけの時間を費やしても、上位リーグに昇格したばかりのチームは全く勝てなかった。もちろん初挑戦の1部レベルなのだから当然のことなのだが、やる試合やる試合、ことごとくコテンパンにやられてしまう。50点近い差をつけられることもざらだったという。
一方でそんな状況だったからこそ、秋シーズンに入るころには1年生にもかかわらず多くの選手がトップ校との試合に出場することができた。渡辺が苦笑する。
「僕は秋の法政大戦ではじめてスタメンで試合に出られたんですけど、数プレーでタックルされて怪我して退場しちゃって。『1部の選手ってこんなに迫力があるのか』と思い知らされました」
結局この年は、春秋通じて公式戦では1勝もできずに終わる。どうにか2部との入れ替え戦で勝ち切り、下部リーグへの陥落は逃れたものの、トップ校だった法政大とのスコアは10-66。ハナから勝負にすらならなかった。
「課題の解像度」を重視する”考えるフットボール”の結実
ただ、実際に強豪と戦ったことで頭に描くライバルチームの“解像度”がグンと上がることになった。
このくらいは練習をやれないと勝てない。このレベルまでプレーを磨ければ勝てる――その具体的なイメージを、多くの選手が1年目から持つことができた。そして、その“解像度の高い課題イメージ”こそが、猪股監督の「コンサルフットボール」には最も必要なものだった。
練習嫌いだったはずの渡辺は「自分でも信じられない」と言いながら、オフシーズンに実家近くの坂ダッシュを繰り返した。それは、試合を通じてラグビー出身のステップのキレが通用することは分かったが、単純なスピードが全く足りないことを痛感したからだ。そして、翌年以降はスピードとステップの両方を兼ね備えた一流のランニングバックへと成長していくことになる。
結果的にこの1年目の全敗経験を経て、加速度的にチームは成長していった。
渡辺たちの世代が主力になった2年目の秋リーグで念願の1部初勝利を挙げると、そのまま成長を続けた3年目は、4勝3敗とあっさりリーグ戦で勝ち越しを決める。そうして迎えた最終学年――彼らが目標に据えたのは、“最強”を倒しての日本一という、途方もない頂だった。
<つづく>