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「ドゥンガは口うるさいから敬遠してたんだ(笑)」ブラジル名SBジョルジーニョの夢は「日本代表監督としてW杯優勝」とアツく語る理由
posted2023/08/13 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Masashi Hara/Getty Images
日本と韓国でワールドカップ(W杯)が開催された2002年の夏、38歳になる直前にジョルジーニョは現役に別れを告げた。以後、指導者となり、見事な成績をあげて称賛されたこともあれば、クラブ上層部から不当な干渉を受けて辞任したり、成績不振を理由に解任されたこともある。
それでも、この男は指導者の道を歩み続ける。そして、アントラーズを、日本と日本人をこよなく愛する58歳のレジェンドは、壮大な夢を抱いていた――。
ドゥンガから「絶対に私を裏切らない男だ」と
――2002年7月に現役を引退した直後の活動は?
「最初は代理人の仕事をしようと考え、(かつてセレソン=ブラジル代表で一緒にプレーした)ベベットらと会社を設立した。でも、数カ月で『自分は、オフィスで働くのは向いていない。現場が好きなんだ』と気付いた。リオ州サッカー協会の指導者養成コースを受講し、プロクラブを率いるために必要なライセンスを取得した。
そして05年末、古巣アメリカFCの監督に招かれ、06年のリオ州選手権を戦った。06年7月、旧知のドゥンガがセレソンの監督に就任し、彼から要請を受けてヘッドコーチとなった」
――ドゥンガは、あなたの1歳年上ですね。U-20ブラジル代表で一緒にプレーしており、1990年と94年のワールドカップのチームメイト。Jリーグでも、95年途中から98年までライバルクラブ(ドゥンガはジュビロ磐田、ジョルジーニョは鹿島アントラーズ)の主力として対戦しています。個人的に、彼とは親しかったのでしょうか?
「いや、実はそうでもなかった。彼は昔から口うるさいから、敬遠していたんだ(笑)。Jリーグ時代も、ピッチ上で激しく言い争ったことが何度もある。でも、彼は僕のフットボールに対する考え方を認めてくれていた。『コーチとして、私を支えてくれ。君のことは、フットボール人としても人間としても信頼している。絶対に私を裏切らない男だ』と言ってくれた。
選手であろうがスタッフであろうが、セレソンの一員としてW杯優勝を目指すのは我々ブラジル人にとって最高の栄誉だ。また、コーチとしてW杯の南米予選とW杯を戦うことは、指導者の道を歩み始めた自分にとってこの上なく貴重な経験となる――。そう思って、迷うことなく引き受けた」
南アW杯では「ブブゼラ」に泣かされた
――07年のコパ・アメリカ(南米選手権)は決勝で宿敵アルゼンチンに3-0と快勝して南米王者となり、10年W杯南米予選を首位で突破。09年コンフェデレーションズ・カップでも優勝しました。