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甲子園の風BACK NUMBER
“ダルビッシュと互角に投げ合った”という看板が……甲子園史上に残る投手戦を演じたサウスポーの苦悩「主将になって血尿」「3年夏は中継ゲスト」
posted2023/08/08 11:03
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
JIJI PRESS
ダルビッシュを上回る奪三振17個
珠玉の投手戦の勝負が決したのは11回裏。1年生でスタメンを勝ち取った東北高校6番・加藤政義(元日本ハム、DeNA)が服部の甘く入ったストレートを見逃さず、三遊間を破るサヨナラ適時打を放った。
ダルビッシュが奪った三振15個に対し、服部はそれを上回る17個の三振を奪っていた。後に準優勝する東北相手に、ほんのわずかな差に泣いた左腕は大粒の涙を流して甲子園を後にした。しかし、本当の試練を味わうのはここからだった。
「ダルビッシュと互角に投げ合った左腕」
以降、服部のプレーが報道されるたびに、メディアにはこの見出しが躍った。
「新チームから自分はキャプテンをすることになったんですけれど、正直、そう呼ばれるのはしんどかったですね」
新チームで主将に抜擢「ゼロからのスタート」
新チームで東北高校との死闘を経験したのは服部と内野手の丸木雅英のみ。まさにゼロからのスタートとなった。しかも服部は、夏の甲子園後に当時の国際大会となるアジアAAA野球選手権の日本代表にも参加し、そこで右足を捻挫したため満身創痍でのリスタートだった。
「初戦(秋季大会2回戦)の相手がいきなり京都外大西で、試合があった太陽が丘球場は超満員でした。でもエラーが絡んで(0-3で)負けてしまって」
ほろ苦いスタートにもかかわらず、電車通学だった服部は街でたびたび声を掛けられ、多くの目に晒された。何より、新チームで務める主将という役割が服部を苦しめた。
「それまでキャプテンなんてやったことはなかったですし、周りにあれこれ言うのも得意じゃなかったですしね。3年生になってからですけれど、あまりにもしんどくて血尿が出たこともあったんですよ」