熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER

“お祈り名MF”ビスマルク53歳、少しぽっちゃりしたけど…「イハラもカズも覚えてるよ」驚きエピソードを告白〈現地インタビュー〉

posted2023/07/02 11:00

 
“お祈り名MF”ビスマルク53歳、少しぽっちゃりしたけど…「イハラもカズも覚えてるよ」驚きエピソードを告白〈現地インタビュー〉<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

ヴェルディ川崎で輝いた頃のビスマルク。今、何してる?

text by

沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

PROFILE

photograph by

Kazuaki Nishiyama

30周年を迎えたJリーグの軌跡に刻まれたブラジル人選手。彼らに当時のウラ話、そして引退後の今を聞いていく。今回はヴェルディ川崎と鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸に所属したビスマルクに、子どもたちがマネした「お祈りポーズ」誕生秘話やブラジル代表で日本代表と対戦した頃の記憶などを幅広く聞いた。(全3回/#2#3につづく)

 Jリーグ初期、当時を代表する強豪2クラブで8シーズン半に渡って攻撃の中心を担った男は、9月で54歳になる。「シダージ・マラビリョーザ」(マーヴェラス・シティ)と呼ばれるリオデジャネイロの高級住宅街レブロンの瀟洒なアパートの最上階で、家族と共に暮らす。

 巨大な愛犬の頭をやさしく撫でながら、穏やかな口調で当時の思い出を語ってくれた。

 現在の仕事は、選手の代理人。ブラジル有数の代理人と会社を共同経営し、国内外を忙しく飛び回る。現役時代と比べるとかなりふくよかになったが、フットボールへの情熱は変わらない。

 ボールを蹴り始めた頃の話から聞き始めたら、驚くべきエピソードが飛び出した。

ビスマルクの由来は“鉄血宰相”からだった

――そもそも、なぜビスマルクという名前(ファーストネーム)なのですか?

「父が歴史好きで、オットー・ビスマルク(注:19世紀のドイツを武力で統治して近代化を推し進めるなど“鉄血宰相”と呼ばれた)を尊敬していたんだ。ブラジルでは珍しい名前だけど、自分ではかなり気に入っている」

――フットボールを始めたきっかけは?

「(リオ中心部から湾を挟んで対岸にある)サン・ゴンサロで2人兄弟の次男として生まれ、5歳頃から家の近くの道路や広場で友人とボールを蹴り始めた。

 その様子を見て、父が『この子にはフットボールの才能がある』と思ったらしい。住んでいた家の隣にもう一軒、家を所有していて他人に貸していたんだけど、その人が引っ越したら、突然、父が人を雇って家を取り壊し始めた。そして、更地にしてフットサル用くらいの大きさのコートを作り、僕たち兄弟がいつでもボールを蹴れるようにしてくれたんだ」

――ええっ、それはどういうことですか? お母さんにも相談せずに?

「全くの独断専行で(笑)」

――それは、あなたたち兄弟がお父さんに頼んだから?

「いや、僕たちは何も頼んでいない。父が勝手にやった」

――お父さんはフットボールが大好きで、息子たちをプロ選手にしたいと思っていたのでしょうか?

「父はブラジル連邦警察の警部で、厳格な人だった。ボールを蹴っているところは見たことがないけれど、バスコ(注:バスコダガマ。フラメンゴ、フルミネンセ、ボタフォゴと並ぶリオの4大クラブの一つ)の熱心なファンで、僕たちを連れてよくスタジアムへ行って試合を見せてくれた。

 僕に『プロ選手を目指せ』と言ったことは一度もない。でも、ひょっとしたら心の奥でそう思っていたのかもしれない」

いつも大威張りでプレーできた(笑)。

――ブラジルの家庭では、女性の発言権が強いのが普通ですよね。そのときのお母さんの反応は?

【次ページ】 憧れの選手はジーコだった

1 2 3 4 5 NEXT
#ビスマルク
#ヴェルディ川崎
#鹿島アントラーズ
#三浦知良
#井原正巳
#ジーコ

Jリーグの前後の記事

ページトップ