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競馬PRESSBACK NUMBER
騎手になってほしい息子が「プロ野球選手になりたい」その時、元騎手の両親は…母が明かす“JRAジョッキー田口貫太”誕生秘話「名前の由来はアニメの…」
text by
大恵陽子Yoko Oe
photograph byHiromi Taguchi(L)/Sankei Shimbun(R)
posted2023/06/11 17:01
今年3月に騎手デビューした田口貫太(右)。中学校までは騎手ではなくプロ野球選手を目指していたという。騎手になってほしかった両親は…
田口 夫の場合は、普通に生活をしていても事故に遭う可能性もあるから、騎手だけが特別に危険だとは思わない、という考えのようです。私も幸いにも現役時代に大きな怪我をしたことも、目の前で見たこともなかったので、その点についてはそこまで不安材料になりませんでした。ただ、最近は大怪我をする騎手もいて、心が痛みます……。
――プロ野球選手志望だった貫太騎手が、どのようにして競馬に興味を持ったんですか?
田口 こちらからは圧をかけてはいなかったんですが、競馬ゲームを「面白いねんよー」と渡したりと仕込んではいて(笑)。それで、中学2年生の時に夫がお世話になっている馬主さんと日本ダービーを見に行く時に一緒に連れて行ったんです。大歓声の中でレースが行われて、その馬主さんが所有するスワーヴリチャードが2着。大の大人が悔し涙を流しながら「また強い馬を作るぞ!」と奮起するのを見て、「こんな素晴らしい仕事に就けたらな」と感動したらしいです。
一度目は不合格、毎日のようにかかってきた電話
――ご両親の思いが通じましたね。騎手になるための競馬学校受験に向けてはどんな取り組みをしたんですか?
田口 中学3年生の担任が体育の先生で、体力試験でできなかったことを克服するにはどうしたらいいか、というカリキュラムを原稿用紙2枚に書いてくれました。それを毎日やっていて、継続は力なりだなあ、と感じました。
――中学3年生でJRA競馬学校を受験しましたが、残念ながら一度目は不合格でした。
田口 高校には行かず、笠松競馬場で見習い騎手をしようか、と迷っていた頃、滋賀県の三田馬事公苑に夫と貫太が挨拶に伺ったところ、そこの社長が「うちで面倒を見てあげる。高校は定時制を受けたらいい」と、願書などを県庁まで取りに行ってくださいました。1年弱、住み込みで昼間は働いて、夜は高校へ通いました。覚悟を持って家を出て行ったけど、あの頃はまだ子供で、毎日のように電話をしてきていました。競馬学校には2回目の受験で合格することができて、今ではパタリとこなくなって寂しいです。いい加減、子離れしないといけないですね(笑)。
貫太ジョッキーが日々10kmを走る理由
――似ていると感じるところはありますか?