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野茂英雄“メジャーから姿を消した”空白の2年…何が? クラブハウスで私が見た“現役晩年の激変”「あのメディア嫌いの選手が…」

posted2023/05/18 11:02

 
野茂英雄“メジャーから姿を消した”空白の2年…何が? クラブハウスで私が見た“現役晩年の激変”「あのメディア嫌いの選手が…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1995年2月、ドジャースと契約を結んだ野茂英雄。全米でトルネード旋風を巻き起こした

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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JIJI PRESS

 全米でトルネード旋風を巻き起こし、日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂英雄。その実績から考えれば「引退劇」は超異例だったといえる。特別な引退試合も、会見も行われず、ひっそりと去ったからだ。一体なぜ――。野茂英雄の現役晩年を追った記者が綴る「本当のノモ論」。〈全2回の#1/#2へ〉

 ◆◆◆

アメリカで旋風…NOMOの衝撃

 野茂英雄26歳はアメリカで野球人気復活の立役者になった。

 選手が前代未聞の長期ストライキを起こした直後の米球界で、トルネード投法から次から次へと三振を奪う豪快な投球でファンを魅了した。1年目の1995年に新人王のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票では1年目に4位、翌96年にも4位の得票と先発投手としてたちまちメジャートップクラスに躍り出た。96年9月17日には打者有利で知られるコロラド州デンバーのクアーズフィールドで1度目のノーヒットノーランを達成。レッドソックスに移籍した2001年4月4日には新天地デビューとなった敵地でのオリオールズ戦で2度目のノーノー。ア・ナ両リーグでノーヒットノーランを達成したのは、メジャー史上4人目の快挙だった。

 これだけの実績を残した投手がそのユニホームを脱ぐとき、最後にファンの祝福を受けながら拍手を浴び、引退会見の席が設けられ、華々しく幕を引くのが相応しい。野茂も、自身が望むならそんなシナリオが用意されてもおかしくはなかった。いや、当然そうできたはずだ。

 だが野茂は、そうしなかった。ただひっそりと、去っていくだけだった。

苦しんだ「現役人生後半」

 メジャーリーガーとしての野茂の現役人生の後半は、ケガとスランプとの戦いだった。2003年10月に右肩の手術を受け、2度目のドジャース時代の最後のシーズンとなった2004年は、開幕最初の登板で5回を7安打7失点と打たれ、4月27日から9月1日まで11試合連続で白星から遠ざかった。この年は18試合に先発して4勝11敗、防御率8.25に終わり、勝敗が15試合以上ついた投手としては史上ワーストの防御率になった。翌2005年はデビルレイズ(現レイズ)と1年契約を結び日米通算200勝を達成したが、19試合で5勝8敗、防御率7.24とやはり振るわず、7月に戦力外となってチームを去った。

【次ページ】 メジャーから離れた「空白の2年」

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