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「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNaoya Sanuki

posted2023/05/20 11:01

「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1994年JリーグMVPを獲得したペレイラ。当時の裏話と63歳になった今の生活を現地で聞いた

「その後、1981年にイトゥアーノ(注:イトゥーに本拠を置くクラブ)からオファーをもらって移籍し、別のクラブへの期限付き移籍を挟んで、1984年にイトゥアーノへ戻った。

 それまで、ポジションは常にCFだった。ところが、あるときCBが故障してプレーできなくなり、監督から『CBがいないから、お前がやってくれ』と言われた。最初は、嫌だと言ったんだ。やったことがないし、点を取る方が好きだったからね。

 でも、他に長身の選手がおらず、繰り返し監督に言われて、1試合だけのつもりで了承した。CBとしての基本的な動きやポジショニングだけ教えられ、試合に出た。すると、意外にうまくできて、試合にも勝てた。それで嬉しくなり、以来、ずっとCBをやっている(笑)」

給料を調整してくれと言ったら激怒された日

――24歳にして、CFからCBへコンバートされたのですね。

「CFとしていつもCBと対峙していたから、CBがどんなことをやるのかは一通りわかっていた。でも、覚えることは山ほどあった。試合に出ながら、少しずつ学んでいった」

――1986年、北東部サルバドールのビッグクラブであるバイアへ移籍した。

「バイアは地元では大変な人気クラブで、ファンが熱狂的。赤道にほど近い熱帯で、人々の気質も食事の味付けも、南部とは随分違う。でも、少しずつ馴染んでいったよ。

 チームは強かった。全国大会で1986年がベスト8、1987年がベスト16で、1998年は決勝で南部の名門インテルナシオナル(注:ドゥンガの出身クラブ)を下してクラブ史上初の優勝。僕は大会ベストイレブンに選ばれた」

――CFからCBへコンバートされてわずか4年後の快挙だったわけですね。翌年、サンパウロ州の中堅クラブであるグアラニーへ移籍します。

「当時は大変なハイパーインフレで、給料が固定額だったから、年末には価値が激減していた(注:この年のインフレ率は980%)。

 バイアの会長に『給料をインフレ調整してくれ』と直談判したんだけど、『冗談じゃない』と怒鳴り散らされて埒があかない。グアラニーが僕に興味を示したので、事情を説明してパス(所有権)を買い取ってもらった。グアラニーは1989年にブラジル1部から2部へ降格してしまったけど、1991年に1部へ復帰した」

ヴェルディに移籍した経緯は?

――1992年6月にヴェルディ川崎へ移籍した経緯は?

「1989年にグアラニーの監督を務めたペペ(注:現役時代はサントスでペレと共に黄金時代を築いた名左ウイングで、現役引退後、指導者としてサントスなどビッグクラブを率いた)が1991年にヴェルディ川崎の監督になっていたんだけど、彼から電話があって『こちらへ来ないか』と誘われたんだ」

――Jリーグ開幕の1年前ですね。日本のフットボールとヴェルディについて、どのような説明を受けたのですか?

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