熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」
posted2023/05/20 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Etsuo Hara/Getty Images
1992年6月、ペレイラはヴェルディ川崎へ移籍した。
翌年に開幕するJリーグの前哨戦として9月初めから11月下旬までヤマザキナビスコカップが開催されることになっており、Jリーグ創設に参画する10チームが強化に邁進していた。
ヴェルディは7月にブラジル・サンパウロで合宿を開始し、ペレイラは現地でチームに合流。イタリア、フランスでの合宿を経て、8月、チームと共に日本の土を踏んだ。
ツナミ、キタザワと仲良くなったよ
――ヴェルディの第一印象は?
「ペペから聞いていた通り、日本人選手はスピードがあり、運動量も豊富。技術レベルも高かった。ブラジルでは『日本人はフットボールが下手』というのが定説だったが、それは間違っていた(笑)」
――チームにはすぐに溶け込めましたか?
「監督とフィジカルコーチがブラジル人で、ラモスらブラジル人選手がいたし、カズらポルトガル語がわかる日本人選手もいたから、コミュニケーションの問題はほとんどなかった。僕の方も、ピッチで使う日本語を覚えていった」
――ペペから注意を喚起されていたあの「長髪の個性的な選手」との関係は?
「全く問題なかった。僕は田舎育ちで、あまり自己主張をしないタイプだからね。他のチームメイトとも、すぐに打ち解けた」
――特に仲が良くなった選手は?
「ツナミ(都並敏史)とキタザワ(北澤豪)。ツナミは明るい性格でスペイン語が話せ、キタザワは知的で親しみやすい男だった」
――ボリビア生まれの石川康は?
「彼は右SBで、いつも僕の右横でプレーしたわけだけど、スペイン語を話したから意思の疎通は容易。運動量が豊富で技術もあるいい選手だった」
――欧州遠征後、チームは日本へ帰還します。日本の印象は?
「整然としていて、清潔で安全な素晴らしい国だと思った。クラブが(練習場があった)読売ランドのすぐ近くにアパートを借りてくれ、ブラジルから妻と幼い子供2人がやってきて一緒に暮らし始めた。クラブ関係者が僕だけでなく家族のことも世話をしてくれたから、大きな問題はなかった」
技術は悪くない。ただポジショニングとフィジカルが
――ナビスコカップで、翌年のJリーグ開幕に参加する9チームと対戦。予選リーグで6勝3敗で首位となり、準決勝で鹿島アントラーズ、決勝で清水エスパルスを倒して優勝しました。他チームの印象は?