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「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byNaoya Sanuki

posted2023/05/20 11:01

「23歳カズとブラジルで対戦したんだ」懐かし名DFペレイラが語る“農場チームからプロ入り+ヴェルディ裏話”「わかるよな、ラモスだ(笑)」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

1994年JリーグMVPを獲得したペレイラ。当時の裏話と63歳になった今の生活を現地で聞いた

「農場に大人のチームがあり、休日に別の農場のチームと試合をしていた。私は年齢の割に大柄で、誰よりも練習していたから、13歳のとき、初めて試合に出してもらった。

 ポジションはCF。まだほんの子供だったけど、対戦相手の大人たちは容赦なく体をぶつけてくる。吹っ飛ばされても、すぐに起き上がってプレーした。気持ちの強さと技術が認められ、やがてレギュラーになった」

――ブラジルでプロ選手を目指す者は、13歳くらいまでにプロクラブのアカデミーに入って専門的な指導を受けるのが普通。エリートではなかった?

「エリートなんてとんでもない。農場で生活し、村の高校へ通い、帰ってきたら農場の仕事を手伝う。その合間に、ひたすらボールを蹴っていた」

――当時、自分の将来についてどう考えていたのですか?

「何も考えていなかった(笑)。当時は、農場が世界のすべて。漠然と、『高校を出たら、自分も父親のように農場で働くんだろう』と考えていた」

大きな町に行くのが怖かったんだ

――プロクラブのアカデミーに入る機会はなかった?

「なかったね。15歳のとき、チンブリのアマチュアクラブから『入団テストを受けないか』と誘われた。でも、テストの場所が近郊のもっと大きな町だと聞いて、断った」

――なぜですか?

「大きな町へ行くのが怖かったんだ。小さな村から数十倍の人口の町へ行くなんて、とんでもない。地方都市の人間がニューヨークへ行くようなものだった(笑)」

――でも、結果的にプロ選手になった。

「1978年、18歳のとき、パラナ州のプラチーナという小クラブの練習に招かれた。それが入団テストで、合格してプロ契約を結んだ」

――U-20ではなく、いきなりプロチームへ?

「そう。当時、このクラブはパラナ州1部で戦っていて、やがて試合に出してもらえるようになった。コリチーバ(注:1989年に三浦知良が在籍)、パラナクラブなどの強豪とも対戦した。1979年、コリチーバ戦で初ゴールを決めたときは、天にも昇るような気分だった」

1試合限定のCBだったはずが…

――それまで農場のチームでしかプレーしていなかった若者が、プロの州1部の試合に出て国内屈指の強豪と対戦して点を取る、というのがすごい。

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