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プロ野球PRESSBACK NUMBER
DeNA山崎康晃が初めて明かす母・ベリアさんの闘病秘話と守護神の誓い 余命宣告にショック「そこまでしなければ後悔する」と沖縄行きの飛行機に飛び乗って…
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/05/14 11:04
母のベリアさん(右)とDeNA山崎康晃。2015年3月、プロ初セーブのボールをプレゼント
闘病生活のなか、母との長年の約束も叶えた。念願だった家を建てたのだ。
「中学生くらいの時から母にはよく手紙を送っていて『今は金銭的に大変だけど、いつかプロ野球選手になってお家を買ってあげるね』と書いていました。その約束を果たしたくて。完成した家には3回、みんなで行きました。亡くなる3日前のオフの日も、母がぼそっと『お家に行きたいな』と口にしたので、夜の7時くらいからみんなで担いで行きました。酸素も吸入していたので厳しい状況でしたが、最後にいい思い出ができたと思います」
広島から駆けつけて看取った母の最期
ベリアさんが亡くなったその日は21年シーズンの最終戦だった。雨天中止の代替試合として1試合だけマツダスタジアム(当時)で行われる試合に備え、山崎は前日から広島入りしていた。
「広島に行くことは迷いましたが、僕としては最後の試合まで、クローザーにしがみつきたかった。チャンスがあれば最後に9回を投げたいと思っていました。でも試合の日の朝に、体調が悪くなって厳しいかもしれないという連絡を受けて、始発で東京に戻りました。そこで最期を家族みんなで看取ることができた。母はずっと僕を一番応援してくれていた。苦しそうにしていても『あの子は投げた?』、『ベイスターズは勝った?』と聞いていたみたい。母からは本当に深い愛情を受け取ったと思います」
「悩みに悩んだ」メジャー封印
母を見送った翌22年シーズン、山崎は復活を遂げる。56試合に登板し、自己最多タイとなる37セーブを挙げ、防御率はキャリアハイの1.33と抜群の安定感で最終回のマウンドを守り通した。オフには、国内フリーエージェント(FA)権を行使せずチーム残留を決断。長年夢だと語ってきたメジャー挑戦を封印し、新たにDeNAと6年契約を結ぶという大きな決断を下した。
「悩みに悩みましたね。最後まで、この決断で合っているのかな、と自分の中で何度も確認しました。マリッジブルーじゃないですけど……結婚してないですけどね(笑)。大きな理由としては、このチームでやれる喜びを次のステップに、と考えたら横浜に残って優勝したいな、と。あとは自分がキャリアをどう終えるかというところも、現実的な部分で向き合いました」