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「自慢のお母ちゃんじゃないか、って」DeNA山崎康晃が語るフィリピンのルーツへの誇り 亡き母が最後に託した「ソーパス」の味〈母の日〉

posted2023/05/14 11:03

 
「自慢のお母ちゃんじゃないか、って」DeNA山崎康晃が語るフィリピンのルーツへの誇り 亡き母が最後に託した「ソーパス」の味〈母の日〉<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

投手キャプテンとして好調のDeNAを引っ張る山崎康晃

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Kiichi Matsumoto

 セ・リーグの首位争いを演じる好調の横浜DeNAベイスターズ。その投手キャプテンとして奮闘を続けているのが山崎康晃投手だ。クローザーへの並々ならぬ思いを秘め投げ込むマウンドの陰には、闘病の末、2021年に亡くなったフィリピン出身の母・ベリアさんとの知られざる秘話があった。5月14日の母の日に合わせて、自身のルーツと母への思いを聞いた。〈全2回の#1/#2へ〉

「僕にとって、日本とフィリピンの2つのルーツがあることは誇り。自分にしかできないことがあるし、この環境で育ったことが僕を強く、優しくしてくれたと思う。半分、ではなく、2倍の可能性を与えてくれたと感じています」

 山崎は今、そう言って胸を張る。母・ベリアさんはフィリピン出身。日本人の父親とは、小学校3年生の時に離婚し、山崎と2歳上の姉・麻美さんを女手一つで育て上げた。同級生とは違う家族の形。「ダブル」であることに複雑な感情を抱いていた時期もあった。

異国の地、女手一つで育ててくれた母

「うちはちょっと他のおうちとは違うんじゃないか……そう思っていた時期もありました。最初にそう感じたのは、健康保険証に書いてある名前がローマ字だったり、片親だったので、いろいろな申請手続きの紙を見た時ですね。普通ではないんだということが、コンプレックスに感じたことも正直あります」

 ベリアさんは子供2人を育てるため、朝は工場で働き、いったん家に戻って子どもたちの夕食を作ってから夜は飲食店に働きに出ていた。大好きな母に甘えられる時間は少なく、子供心に寂しい思いを抱えることもあった。

「今思えば反抗期も多少ありました。母のことで周りにからかわれたり、嫌なことを言われたりしたこともありました」

【次ページ】 野球は、離婚した父に会える時間だった

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