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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
NHKディレクターを辞め、野球独立リーグ監督に転身「世間的にはナゼ? と思うかもしれませんが…」伊藤悠一さん35歳が語る“2つの理由”
posted2023/05/14 17:01
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
「BCリーグ監督たちの会見を見に来ませんか?」
今年3月、ルートインBCリーグの村山哲二代表から連絡をいただいて、東京都内のホテルの会見場に足を運んだ。8球団の監督が一堂に揃って記者会見をするのは初めてだという。
今や独立リーグの「顔」ともいうべき福島レッドホープスの岩村明憲監督や、野村克也の懐刀として敏腕を振るった新潟アルビレックスBCの橋上秀樹監督、さらに新任の埼玉武蔵ヒートベアーズの西崎幸広監督など、錚々たる野球人が並んだ。
その中でひとり、スーツの着こなしや雰囲気の違う監督がいる。メディアからは「あれは誰?」というささやき声も聞こえる。
今年から茨城アストロプラネッツの指揮を執る伊藤悠一監督だ。すでにこの時点で、一部メディアが「NHKのディレクターから転身した」と報じていた。
その伊藤新監督は「期待したい選手は?」という質問を受けると「高林翔」という名前を挙げた。大学を中退して2年前に練習生として入団した192cmの大型投手である。まだ選手との対面も十分にできていない新任監督もいた中で、伊藤監督は具体的な選手名を挙げることができた。これも印象的な出来事だった。
高校を再入学、慶大入学時点で20歳を超えていた
開幕戦を控えた4月――茨城県笠間市の球場で、伊藤監督に野球歴、そしてディレクターから今の仕事に至るまでの経緯について聞いた。
「静岡県沼津市生まれです。小学校3年生から野球を始めて、中学は学校部活の軟式野球部でした。そこから日大三島高校に進んだのですが、1年で退学しました」
日大三島高校は甲子園で春夏通じて出場2回という強豪校だが、別の高校に移るという選択をした。
「翌年、静岡県立御殿場南高校に再入学しました。だから1年ダブっているんです。御殿場南は進学校で、1回戦、2回戦で敗退する普通の高校です。年齢の規定がありますから、2年夏まで野球をしました。ポジションはずっと投手です。球速はそれほどなくて、技巧派でした。一浪して慶應義塾大学に入りました。高校生を4年やってさらに一浪して、大学入学時点で20歳を超えていました。
ちょうど“ハンカチ世代”と同期なので、早稲田に行って斎藤佑樹投手たちと一緒に野球をしたいなと思ったんですが、受からなくて慶應に行きました。学部は環境情報学部です。慶應では野球をしたいというモチベーションが湧かず、足が速かったので、陸上部に入ったんです。その後、入社試験を受けてNHKに入局しました。中学のころからの夢がテレビ局のディレクターだったので、NHKなどテレビ局で番組制作をしたかったんですね」