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私は競泳日本選手権で“ゾーン的感覚”を味わった…「ラスト25mで我に返って“キツい!”って」「今見てもアホみたいに突っ込んでるなと」
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byJIJI PRESS
posted2023/04/09 11:03
リオ五輪選考会で優勝し、笑みを浮かべる寺村美穂さん(右)
「コーチからは『あの勇気には本当に感動した』と言われましたね。でも自分の中でのゲームプランとしてはそんなにガッツリと前半から突っ込んで行くイメージはなかったので……みんなが驚いていました。それは泳ぎ終わった直後の私もそうなんですが(笑)。
最後にタッチした瞬間は『あ、やった……』という感じで、安堵なのか嬉しいのかよく分からない感情でした。そこから一気に手術時の記憶や(前編で話した)まったく進まずに泳ぐようなトレーニング期間などがフラッシュバックのように思い出しました。“走馬灯のように”という表現がありますが、本当にそんな状況になるんだなと。とにかくいろんな感情が入り混じっていて、これがオリンピック出場を決めるという感覚か、と実感しました」
――それだけの思いが乗っかっていたレースだったんですね。
「リオ五輪選考会は、1回目のオリンピックをつかみ取るため、本当に若いからこそできたレースなのかなと今になって思います。今見ても“アホみたいに突っ込んでいるな……”と思うので(笑)。ただ“全力でいって最後はどうにかなれ”というレースで勝ち切ったのは、当時の自分ができるベストのレースだったんだと思います。その一方で2回目の東京五輪についてはしっかり自分で考えて、落ち着いて泳げたというレースでした。そこは経験を積んだからこそなのかなと」
リオ五輪後「東京五輪に出て引退する」と
――ではリオ五輪に出場した後、東京五輪に向けてのプロセスはどうだったんでしょうか。
「リオ五輪前、この大会限りでやめるかも、と考えたことは実際にありました。でも五輪を実際に終えて見ると、スッキリした気持ちがなく、何かもやもやとした心境が残ったんです。それは『オリンピック前にひざを痛めてしまったらどうしよう』など頭に浮かんで、セーブしながら練習していた面もあったからなんです。『もっと準備できたのでは?』という後悔があったからこそ、もう1回挑戦してみようと思えたんです。ただそれとともに、“絶対に東京オリンピックに出る。そこで引退する”と、その時点で決めていたんです」
――集大成にすると決意した東京五輪に至るまで、どのようなプロセスがあったんでしょうか。