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「1年延期は競技的にプラスだったのかも」寺村美穂28歳が回想…“98%あきらめた”東京五輪での引退「自分、お疲れさま!って」
posted2023/04/09 11:04
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
JIJI PRESS
元競泳選手・寺村美穂さんは2016年リオデジャネイロ五輪で自身初となる五輪出場を果たした。その2年後に行われたパンパシ水泳、アジア大会200メートル個人メドレーで銅メダルを獲得するなど、2020年東京五輪でも日本代表の有力選手として目されていたものの……新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年3月、大会の1年延期が決まった。
オリンピックを目指した数多くのアスリートが悩まされることになった延期だが、寺村さんにとっては「競技的にはプラスだったのかもしれません」と語るなど、少々違う感覚を覚えていたそうだ。それはどういうことなのか。
実は2019年の年末に捻挫したんです
――寺村さんにとって東京五輪の1年延期は「競技的にはプラスだった」と表現されていました。いったいどういうことなんでしょうか。
「実は2019年の年末くらいに、捻挫をしたんです。水泳は足を使う競技なので、捻挫すると全然キックができない。五輪選考会が翌年の3~4月開催なのを踏まえると“ああ、これは間に合わないかも……”と思ってしまったのは事実です。だから『ツイてないな、でも悔いなく終わろう』と必死に取り組んではいたんですが、コーチと“吹っ切れていないな”とも話していました」
――そこからコロナ禍が広がった3月、選考会直前で東京五輪の1年延期が決まりました。
「正直、自分にとってはプラスな気がすると思ったんです。もちろん1年延期になるというのは、もう1回苦しい1年間を乗り越えないといけない。でもプラスに考えたら、後悔をしないための1年間を与えてくれた……と自分は比較的すぐ前向きに捉えられたんです」
――他の選手たちと比べて、切り替えまでのスパンはどんな感じだったんでしょうか?
「私は1カ月くらいでスパッと切り替えられました。ただ多くの人は長期にわたり引きずっていたと思います。周囲がグラッときている中で、がむしゃらに練習を頑張っている状況でした。他の人からみて『オリンピックが今年なくなってしまったのに、なんでそんなに直ぐ切り替えて頑張っているの?』という状態だったと思います。唯一ISLという大会が決まっていたのでそれがモチベーションになっていました。
新年度のタイミングでコーチが変わったり、さらにコロナ禍で一斉に練習ができなくなるなど難しさを感じていたんですが……コーチが誰であろうと、自分がやるべきことはわかっていると覚悟を決めましたし、迷いはありませんでしたね。正直に言えば私自身、2020年は上手くいった年とは言えなかったんです。他の選手は2020年にピークを合わせてやってきたはずなのに、自分はピークを持ってこれなかった。だから“ピークを持って行くために、あと1年あげるから頑張れよ”と誰かに言われているような気がしたんです。だから自分でも、自信を持って“頑張りました!”って言えるくらい頑張りましたね(笑)」
1年延期がなかったら98%くらいは…
――迎えた2021年の日本選手権はどんな記憶ですか?