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「死ぬ時に後悔をゼロにするのは難しいけど…」藤浪晋太郎28歳が見たWBCと”同学年”大谷翔平の異次元「自分が語れるレベルではない」
text by
佐井陽介(日刊スポーツ)Yosuke Sai
photograph byYukihito Taguchi
posted2023/04/04 17:00
今季からアスレチックスでメジャーの舞台に挑む藤浪晋太郎。WBC侍ジャパンの奮闘と自身の挑戦について語った
「今言わないと…死ぬ時に後悔すると思った」
極秘裏に大リーグ挑戦希望を直訴したのは'21年12月のことだった。
6年連続減俸を余儀なくされた契約交渉の席上、1年後のポスティングシステムを使っての移籍容認を阪神球団幹部に願い出た。本来の輝きを取り戻せないまま、同年は21試合登板で3勝3敗、防御率5.21。門前払いも覚悟の上でエゴをぶつけたのには訳があった。
「タイガースでいい成績を残して、優勝させてから行くのが一番だとは分かっていた。でも、メジャーは『行きたいならどうぞ』という舞台ではない。今言わないと野球人生が終わった時、死ぬ時にめちゃくちゃ後悔すると、心の底から思ったんです」
ここ数年「終わり」を意識した言葉が目立つようになった。時には制球難をイップスと揶揄され、先発、中継ぎと起用法も定まらない日々。出口の見えないトンネルの暗闇で長くさまよい続ければ、嫌でも悟らざるを得なかったのかもしれない。
「使われ方を客観的に見ていて、先が見えてきたなと。それに、いつ故障してもおかしくないと考える機会も多くなって……」
今だから明かせる。
「越えてはいけない一線を越えて…」
藤浪は初めて中継ぎに配置転換された'20年秋、体中から発せられる危険信号に人知れずおびえ続けていた。
「このまま投げ続けたら、ホンマにつぶれてしまうんちゃうかな……」
それは自身最速162kmを計測し、ついに完全復活かと甲子園、野球ファンを熱狂させていた時期の裏話だ。
「人の勝ち星とか勝利打点を背負って投げる場面はそれだけ気持ちが入る。多分、アドレナリンが出すぎて、越えてはいけない一線を越えて腕を振り切ってしまっていたのでしょうね。普通に投げているつもりでも常時150km後半、160km台が出る。あの状態を続けていたら、あと数年で野球ができなくなっていたかもしれない」
選手生命の危機さえも予感させる恐怖にさいなまれていた頃から、大器の価値観には変化が生まれ始めていたように映る。
「自分だって、いつまでもずっと野球をできる訳じゃない」