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「憧れるのをやめましょう」大谷翔平の言葉で思い出した“すぽると出演時のフリップ” 「大谷が目指していたのは“20勝”ではなかった」
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/03/25 06:30
日本ハム時代の大谷翔平。当時を取材したアナウンサーが秘話を明かした
初めて取材をさせてもらった時から、信念を感じる青年だった。
大谷の二刀流挑戦には多くの識者やファンたちから疑問の声が上がっていた。自身も「僕が2つ(投手と打者)をやっていることによって、チームにとって、球界にとってプラスになるのか、思うことはあります」と吐露することがあった。自分のやりたいことを、ある種のワガママを続けられる環境はあるのか、と葛藤する姿も見た。
ただ、「これ(二刀流)を続けさせてもらうことが日本球界への恩返しになる」と最後は必ずそう愚直に言い聞かせきていた。
「高校球界からメジャーリーグを目指す」と言葉にした時もそうだった。父は日本でまずはプレーして欲しいと訴えたが、それでも自分と相談して決めた“メジャー挑戦”にこだわる大谷青年がいた。一転、北海道日本ハムファイターズに入団することを決めたのは、多くの人が信じなかった世界を(文字にすることができなかった目標を)具現化するためのサポートをしてもらえる環境があったからだ。
「憧れるのはやめましょう」
WBC決勝戦の直前、大谷がロッカールームでチームメイトにかけた言葉が話題を呼んだ。
「憧れるのをやめましょう」
その言葉を耳にして、フリップを手にする大谷の姿が蘇ってきた。
“目標とする数字や憧れの存在を作ると、その偶像に追われる。それを超えられない”
あの時もそういう思いがあったのだろう。
今回のWBCで“世界一になる”ことを誰よりも信じて疑わなかったのは大谷だった。劣勢に回ったメキシコとの準決勝、自分が塁に出れば後に続く吉田正尚、そして村上宗隆が打ってくれると信じた。だから、1点リードされた最終回という難しい状況でも初球から迷わずバットが出たのだ。決勝戦では終盤にベンチとブルペンを行き来した。初めて見る光景だった。あれだけユニフォームが汚して最終回のマウンドに上がる投手はいない。
「日本球界への恩返しになる」
そう信じて疑うことなく貫いてきた答えの1つが今回の世界一だったのかもしれない。いつまでも変わらないまっすぐな姿はとても美しかった。
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