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「スタメンから外せば日本は勝てる」の批判→覚醒…岩村明憲が明かすWBC韓国戦“あのイチロー決勝打”の伏線「全てが報われました」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNumber Web
posted2023/03/07 17:00
第2回大会の1次ラウンド、波に乗り切れないイチローとともに「外せば日本は勝てる」の声も挙がって……岩村明憲が舞台裏を明かす
日本はこの試合で敗れたが、アメリカがメキシコに敗れたことで首の皮一枚繋がり決勝トーナメント進出を果たした。そして、準決勝で韓国にリベンジし、決勝ではキューバを撃破して初代王者に輝いた。
歓喜の瞬間。選手たちがティファニーのトロフィーを掲げる。岩村はというと、喜びと悔しさが入り混じる複雑な心境だった。
「怪我をしてしまって不甲斐ないところもあったから、控え目に持つくらいでしたね」
純粋に、喜びに酔いしれる。それは、岩村にとって大きな「忘れ物」となった。
メジャーリーガーとして参戦の09年
2009年開催の第2回までの3年間、まるでWBCへの一本道が敷かれたかのように、岩村は1年、1年、深い足跡を残した。
大会が終わった直後に始まった2006年シーズン。打率3割1分1厘、32ホームランとヤクルトの主軸として君臨し、シーズンオフにポスティングシステムによるメジャーリーグ移籍と、キャリアの扉をこじ開けた。
デビルレイズ(現レイズ)1年目からレギュラーとなり、2年目の08年には不動の1番バッターとして球団初のアメリカン・リーグ東地区優勝、さらにはリーグ優勝に貢献した。ワールドシリーズでは敗れたが、岩村は歴戦を通じ世界との距離が縮まったと実感する。
「第1回のWBCとメジャーのリーグ優勝でシャンパンファイトできて。やっぱりね、あの味って忘れられないんです。第2回にも呼んでもらった時、思いましたよ。全部の戦いが繋がってるんだって。だからこそ、『メジャーリーガーとしてアメリカで戦った強みを出す』って思っていましたけど」
岩村が「けど」と結んだのには理由がある。
09年の第2回WBC。岩村は1次ラウンド3試合で9打数ノーヒットに終わっていた。
1次Rで無安打も「なぜ冷静だったのか」
「『第1回の分を取り返さないといけない』って、気持ちが空回りしていたんでしょうね」
今でこそ冷静に心情を俯瞰できるが、当時は穏やかではなかった。岩村と同じく同ラウンドで14打数4安打と波に乗り切れないイチローとともに、<ふたりを外せば日本は勝てる>といった解説者の無責任な論調に腹立たしさを覚える瞬間もあった。
なぜなら、岩村はノーヒットと不振はイコールではないと感じていたからだ。それが符合したのが、アメリカ到着後に行われたサンフランシスコ・ジャイアンツとの練習試合である。
メジャーリーグでプレーするようになってから、岩村にはバッティングの好不調を判断できるバロメーターが確立されていた。