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PL学園に行けず「名前も知らなかった」大阪桐蔭へ…西岡剛が明かす“西谷監督との修羅場”「めっちゃ怒られたし、僕も向かっていった」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/03/20 11:00
「西谷先生からはめっちゃ怒られたし、僕も向かっていったし」。西岡剛が大阪桐蔭時代を語った
ベンチ入りメンバーの当落線上にいた西岡が、練習後のミーティングで西谷の話に静かに耳を傾けていると、隣の上級生が自分の脇腹をつつきながら笑わそうとしてきた。
ぷっ! ……思わず声が漏れてしまう。
「なに笑っとんじゃコラ!」
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西谷の怒声が飛ぶ。「お前、辞めろ!」。すぐに失態を悔いた西岡が「辞めません!」と返した。その問答はミーティングどころではないほど収拾がつかなくなり、他の選手たちはグラウンドから帰路に就くバスに乗り込んだ。運転手の西谷も乗車し、クラクションを鳴らされても西岡は引かなかった。
「僕は辞めたくありません。どうしても辞めさせたいなら殺してください!」
西岡の顔は、涙でボロボロだった。
最終的に見兼ねた3年生たちから、「先生は絶対に辞めさせないから。ここは一旦引け」と諭され、修羅場はようやく収束した。
僕の性格をわかってくれてたんです
西岡はミーティングで笑ってしまった真実を、最後まで西谷に言わなかった。他の選手に示しがつかないと、翌日から1カ月ほど練習中に外野の芝生をひたすら刈り、夜も寮から抜け出して徹底的に整備した。その後に訪れた「坂道ダッシュ1000本」も、1日100本以上をこなし、10日以内で完遂した。
血気盛んな高校1年生はムキになっていた。
「この時だけじゃなくてね、西谷先生からはめっちゃ怒られたし、僕も向かっていったし」
西岡は筋が通っていた。悪いものは悪いと認め、ペナルティも甘んじて受ける。そんな一本気の男を、西谷は叱ることこそあれ、抑圧することはなかった。それは、大阪桐蔭が初優勝時に指揮を執り、当時は総監督の立場だった長澤和雄も同じだった。西岡は言う。
「西谷先生も、中学時代から僕を推してくれた長澤さんも、僕の性格をわかってくれてたんです。すごく勝気で、常に一番になりたいっていう自分の鼻をへし折るんじゃなくて、長所を伸ばしてくれたというか」
1学年上に中村剛也や岩田稔がいた、今でも「大阪桐蔭の歴史のなかでもかなり強かった」と囁かれるチームで、西岡は下級生ながらショートのレギュラーとなる。2年春の大阪大会決勝ではPL学園を倒し、雪辱も果たした。そのライバルは、夏前に不祥事が発覚し半年間の対外試合禁止の憂き目に遭った。
「運はよかったと思います。PLに行ってたらそこで満足して終わってたかもしれないし」