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PL学園に行けず「名前も知らなかった」大阪桐蔭へ…西岡剛が明かす“西谷監督との修羅場”「めっちゃ怒られたし、僕も向かっていった」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/03/20 11:00
「西谷先生からはめっちゃ怒られたし、僕も向かっていったし」。西岡剛が大阪桐蔭時代を語った
PL学園は上下関係が厳しく、出場停止はそれが原因とも言われている。結果論ではあるが、向こうっ気の強い西岡からすれば、大阪桐蔭は個性を伸ばすのに最適な場所だった。
甲子園出場、そしてプロへ
3年春にセカンドに転向したこともそうだ。
チーム事情により提案された当初は、「花形のショートを誰にも渡したくない」と、嫌悪感を示していた。それを受け入れられたのは、西谷のこの言葉があったからだ。
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「プロを目指してるんだったら、今からセカンドをやっていたほうがプレーの幅が広がる」
3年夏。大阪桐蔭は全国制覇を遂げた91年以来となる甲子園出場を果たした。初戦で強豪の東邦に敗れたものの、「4番・セカンド」で出場した西岡は3打数2安打、1打点と気を吐き、スカウトの評価を高めた。
大阪桐蔭で42本のホームランを積み重ね、50メートルのタイムも6秒0。二遊間を守れる万能プレーヤーは、02年の秋、ロッテからドラフト1位で指名された。
プロ1年目…PLスカウトとの再会
プロ1年目の春季キャンプ。
多くのファンがロッテの練習を見守るなか、西岡は瞬時に知っている顔を捉えた。
忘れもしない、井元だ。練習の合間にすぐ駆け寄り挨拶をする。
「あの時、PL学園から断っていただいたことに感謝してます!」
18歳の西岡が、66歳の井元を前に皮肉たっぷりの笑顔を見せる。
「君を獲らなかったことを本当に後悔している。私に見る目がなかったよ」
井元はそう言った。このやり取りで芽生えた感情を、西岡は今も大事に包み込んでいる。
「全てが解放された気分でした。あの悔しさがあったから今の自分があるんだって。井元先生には本当に感謝しましたね」
大阪桐蔭が最速156キロ左腕の辻内崇伸と高校通算70ホームランの平田良介を擁し、91年以来となる夏の甲子園でベスト4となった05年。プロ3年目の西岡は、レギュラーとしてロッテの日本一に貢献した。盗塁王に加え、ショートでベストナイン、セカンドでゴールデン・グラブ賞を獲得。教えは、プロでも活かされた。
これが、まだ成り上がる過程だった大阪桐蔭と西岡剛の、熱き記録である。
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