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PL学園に行けず「名前も知らなかった」大阪桐蔭へ…西岡剛が明かす“西谷監督との修羅場”「めっちゃ怒られたし、僕も向かっていった」
posted2023/03/20 11:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
春夏合わせて甲子園優勝9回。2010年代に突入してからの13年間となれば、実に7回も全国の覇権を握っている。
甲子園に出て当たり前。優勝をすれば「勝って当然」と受け取られ、負けようものなら「優秀な選手を集めてるのに」と非難される。
大阪桐蔭は今やそんなチームだ。
本当は桐蔭のことを認めてるんじゃないですか
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プロ・アマ問わずOBたちにこの風評について尋ねると、ほぼ全員が「もっと桐蔭のことをわかってほしい」と悲しげに呟く。
そんななか、西岡剛だけはこう断言する。
「僕らも後輩たちも一生懸命やってるし、非難されるようなことはしてないんで。このご時世、SNSで反対の意見を出すほうがフォロワーとか『いいね』が増えたりするっていうか。ネットで叩いたりする人も、本当は桐蔭のことを認めてるんじゃないですかね」
炎上、逆張り。昨今のSNSのトレンドを、西岡は達観した持論で断ち切り、こう訴える。
「西谷(浩一)先生のスカウティングだけを見てもね、どれだけ汗を流してるかって話です。そこに辻内(崇伸)とか平田(良介)、中田(翔)、藤浪(晋太郎)とか、いい選手が『桐蔭でやりたい』って入ってきて、強くなった。これだけじゃないですよ。西谷先生たち指導者がしっかり種を蒔いてきたからこそ、今の桐蔭があるんです」
西岡が高校時代を過ごした00年から02年は、土を作り、種を蒔き、花が咲くまでの、いわば変革期でもあった。
「PLに行く」夢が絶たれた日
1984年に奈良県で生まれた西岡は、小学1年の91年夏に同じ関西の大阪桐蔭が初出場初優勝を遂げた偉業を、ほぼ覚えていない。
最初に憧れたのは、「近所のお兄ちゃん」が出場した95年の甲子園。「超高校級スラッガー」と呼ばれていたショートの福留孝介と二遊間を組んでいた渡辺剛史を応援しているうちに、PL学園にのめり込んでいった。
「PLに入って、プロに行く」
これが、西岡の現実的な目標となった。