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「出ちゃったという感じ(笑)」21歳で100m日本歴代3位、兒玉芽生が振り返る「大分の“速く見えない”女子高生がスプリント女王になるまで」

posted2023/02/23 11:00

 
「出ちゃったという感じ(笑)」21歳で100m日本歴代3位、兒玉芽生が振り返る「大分の“速く見えない”女子高生がスプリント女王になるまで」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

現在はミズノに所属し、福岡大学を拠点に練習を続けている兒玉芽生。兒玉と信岡沙希重コーチがこれまでの足跡を振り返った

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荘司結有

荘司結有Yu Shoji

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Asami Enomoto

 昨年9月、女子100mで日本歴代2位となる11秒24をマークした兒玉芽生(23歳)。女子短距離界を長年けん引した福島千里の日本記録に0.03秒まで肉薄し、“ポスト福島”として躍進が期待されている。

 福岡大学3年時に日本歴代3位の11秒35をマークし、新星として注目を浴びた兒玉。そんな若きエーススプリンターを支えてきたのは、女子200m元日本記録保持者の信岡沙希重コーチだ。

 現エース格の兒玉と元スプリント女王の信岡はどんな歩みを経てきたのか。二人三脚の過程を辿るとともに、指導者から見た兒玉の強さを聞いた。(全4回の1回目/#2#3#4へ)

実はお姉さんを勧誘していたんです

 大分県臼杵市で生まれた兒玉芽生は、小学生から世代のトップをひた走り、小中高と各カテゴリーで全国タイトルを手にしてきた。信岡が初めて兒玉に出会ったのは、県立大分雄城台高1年生のとき。ただし、目当ては兒玉ではなく、別の選手だった。

「実は兒玉のお姉さんを勧誘していたんです。お姉さんが3年生の年に兒玉も入部してきて。顧問の穴井(伸也)先生から妹の存在は聞いていましたが、まだ勧誘の対象でもなかったので『ああ、1年生なのにすごいんだね』というだけの印象でした」

 2歳上の姉・彩希も元々は世代トップクラスのスプリンター。高校入学後に400mハードルに転向し、3年時の和歌山国体で優勝している。姉が活躍していたその頃、兒玉は北九州大会の100mで8位止まりと目立った成績は残していない。

出来上がっていない状態でこのタイムが出せるんだ

 翌年はインターハイの出場権を得たものの、足の親指を疲労骨折して棄権。迎えた3年目、ついに兒玉は世代トップの座に返り咲く。シーズン序盤から11秒8台をマークし、インターハイで優勝。春先からその走りを追っていた信岡の目には、兒玉の走りが鮮烈、というより興味深く映っていた。

「走りですごく魅力的だったのは、11秒8台で走っているのに“全然速く見えない”ことでした。褒めてるのか、けなしてるのか分からない表現になりますが(笑)。ピッチがチャカチャカと速いわけでもないし、出来上がっていない状態でこのタイムが出せるんだ、という印象が強かったんですよね。だから伸びしろがすごく大きいなと思いました」

あの子は陸上で生きていくのだろうと

 信岡が兒玉に勧誘の声を掛けたのは、11秒83をマークして優勝した6月の県大会の会場だった。兒玉にとっては、この時信岡に掛けられた一言が、後に福岡大に進学する“決め手”となった。

【次ページ】 食い違っていた2人の“ストライド”

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