- #1
- #2
野球善哉BACK NUMBER
暴力消えない高校球界も…東北は“60歳の新監督”でなぜ成功? センバツ出場に導いた“元巨人選手の改革”「楽しかった野球を子ども達に返す」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byGenki Taguchi
posted2023/01/30 11:00
東北をセンバツ出場に導いた元巨人の佐藤洋監督
「自分が子どものときはどうだったかなって考えると、僕はチームに入っていなかったので、公園で野球やって、自分たちでルールを考えて遊んでいた。全部自分たちで決めて遊んでたときは楽しかったんですよね。高校できつくなるんだから、それまではもっと野球は楽しまないと駄目だなと思って、楽しかった頃の野球を子ども達に返すために活動してきました」
同志の指導に唖然「勉強になりました」
とはいえ、野球界はなかなか変わる兆しが見えなかった。それでも佐藤が信念を曲げずにやってこられたのは志を共にした人との出会いだ。
「あいつがいなければ今の野球界はもっと変化できていなかったでしょうね」と佐藤が挙げた名前は、ジャイアンツの同僚だった小島圭市氏だ。
二軍時代に親交を深め、小島がジャイアンツを退団後にトミージョン手術を経てアメリカ球界に乗り込む際、佐藤が練習パートナーになるなどの支援をした間柄だった。小島はMLBでドジャースのスカウトを務め、黒田博樹や斎藤隆の獲得に尽力した慧眼の持ち主でもある。
「(小島は)後輩だったんですけど、同じような考えを持つ人間でしたね。彼は野球の技術を見る目がある。子どもの成長具合に関して『この子はこういうトレーニングしたらこうなります』って青写真があって、先見の明もある。その間に菊池雄星や大谷翔平に関しても彼の言った通りになったし、本当に勉強になりました。日本の野球界の疑問に思っていたことの答え合わせが彼によってできました」
小島と野球教室に参加した際、そこでの指導方針に唖然とさせられた。
「正直、見ていてつまらないんですよ。ピッチャーには“真っ直ぐ立て”しか言わない。小島は選手として(アメリカの)ルーキーリーグを経験して、若い頃は下手だった選手が大化けしていくのを目の当たりにしている。『日本みたいに細かくやらなくていい』って言っていたんですけど、本当にその通りだなと。野球の指導に大事なのはそういうことなのかなと」
アメリカで痛感「野球は誰のためのもの?」
佐藤自身もアメリカに出向いたこともある。その体験も佐藤に大きな影響を与えた。