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野球クロスロードBACK NUMBER
「中日にセレモニーを要求」と報道されて…平田良介がいま明かす“あの退団会見”の真相 34歳の引退決断は「家族を養っていくことを考えたら…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2023/02/01 11:02
昨年末に現役引退を発表した平田良介。苦しんだ病気との闘い、そして退団会見での“あの騒動”について、Number Webのインタビューで語ってもらった
「『もっと重いの担げんのに、こっち(心臓)がアカン、アカン!』って、追い込んでトレーニングできなかったんで。『どうしよう……』っていう気持ちが続いてましたね」
新型コロナウイルスによるパンデミックで、日本中が混乱した前年の20年。プロ野球も開幕が延期となり、平田自身も体調不良や下半身の故障などで本来のパフォーマンスを発揮できず、55試合の出場に留まった。打率2割4分、3ホームラン、17打点。レギュラーとなった11年以降ではワーストの成績だっただけに、21年は捲土重来を期していた。それが、突然の病気によってさらにパフォーマンスを落としてしまったのである。
平田の目線が少し落ちる。
「しんどさはありましたね。『体調管理できてないから、そんな病気になったんや』とか、そんなことをどっかに書かれたり。人になかなか分かってもらえるものじゃないから」
戻らない感覚。「ボールの見え方が全然違う」
埋まらないブランクは体だけではない。22年、平田は打席でもその差に翻弄された。
右ピッチャーの外角低めに落ちるフォークボールを捉える。ライトライナーだったが「いい感じやった」と手応えを抱く。試合後にその打席を映像で確認すると、自分が打ったコースが内角だったことに愕然とした。
「何度も対戦してるピッチャーでも、ボールの見え方が全然違うって感じたりもしました。ずっと違和感ありました」
長らく休養していたアスリートがトップフォームに戻すまでには、個人差があるとはいえ「休んでいた倍以上の期間が必要」とも言われている。22年の平田は、一軍で前年の21試合を上回る51試合に出場したことで、公には復調をアピールすることもあった。
しかし、それはある種の虚勢だった。前言のように打席での感覚を完全に取り戻せてはいなかったし、スクワットも「徐々に負荷をかけられてるんで大丈夫です」と言いながら、110キロまでしか上げられていなかった。
戦力外の通達…「引退」か「退団」か
自分の不調など関係なく、時間だけが過ぎる。9月。平田は「覚悟していた」と言った。
それは、戦力外を意味していた。