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野球クロスロードBACK NUMBER
「中日にセレモニーを要求」と報道されて…平田良介がいま明かす“あの退団会見”の真相 34歳の引退決断は「家族を養っていくことを考えたら…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2023/02/01 11:02
昨年末に現役引退を発表した平田良介。苦しんだ病気との闘い、そして退団会見での“あの騒動”について、Number Webのインタビューで語ってもらった
17日のヤクルト戦後。監督室に呼ばれた平田は、中日の立浪和義監督から23年シーズンの構想外を通達され、「引退」か「退団」かの二択を迫られた。すぐにでも自由契約を希望する旨を示したかったが、「家族と今後のことを話す時間が必要だな」と冷静になり、回答を保留。2日後、立浪に電話で「退団させてください」と伝えた。
それにしても、プロ野球の世界は無常である。昨シーズン終了時点で通算1046本のヒット、105本のホームランを積み重ねたチームの功労者であっても、結果を残せなければリリースされる。平田ほどのバッターなら、リカバリーの時間さえ猶予されれば復活できたはずなのだが、その表情に陰りはない。
「『給料がもっと安くなっていいから、育成契約でも構わないから!』ってね。そう思うことはありますけど、僕はプロ野球選手になった時から『実力の世界だから、結果を残せなければクビになる』と思いながらずっとやってきたんで、納得はしてます」
あの退団会見は「いらんかったなぁ」
戦力外となった現実は受け入れた。
ただ。そう言って、平田が本音を漏らす。
「あの会見は、いらんかったなぁ」
10月4日。中日が平田の退団会見を開いた。チームの功労者としてしかるべき場を設けたいといった球団の温情を理解しつつも、本人の「いらんかった」の言葉には、ちょっとした後悔や懺悔も含まれていたのである。
グラウンドで声を枯らしながら応援してくれたファンへ、涙ながらに感謝を述べた平田が、自由契約の経緯を説明する。
例えば――と切り出す。
「僕も人間なんで、気持ちの浮き沈みがあるんですね。そんな時に『タオルや映像を用意して花道を作るから、引退する意思はないか?』と球団から言われたら、もしかしたら引退していたかもしれない。でも、現役を続けたかったので、実際にそう言われたとしても退団を選択していたと思います」
「球団にセレモニーを要求」と報道されて…
平田からすれば、湿った会見の場を少しでも和ませようと努めた、いわば冗談だった。しかし、報道陣にはそう受け取ってもらえず、<盛大なセレモニーはできないと球団から言われたため、退団を選んだ>と、事実とは大きく異なる形で報道されてしまったのである。
これが火種となり、平田の退団会見はちょっとした“炎上騒ぎ”となった。