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74歳急死…門田博光の「40歳で44本塁打125打点MVP」「ガラガラな二軍で衝撃ライナー弾」を見た〈アキレス腱断裂も王・野村に次ぐ567発〉 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2023/01/25 17:15

74歳急死…門田博光の「40歳で44本塁打125打点MVP」「ガラガラな二軍で衝撃ライナー弾」を見た〈アキレス腱断裂も王・野村に次ぐ567発〉<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

南海ホークス時代の門田博光。身長170センチながらホームランを量産する姿を、往年のパ・リーグファンは覚えているだろう

 チームは6、8、9月とAクラスに入る期間はあったが――優勝争いとは縁遠く、南海ファンの希望は門田のホームランだけになる。

 しかし本塁打のタイトル争いには手ごわいライバルがいた。西武の26歳、秋山幸二である。8月27日、平和台の日本ハム戦で秋山は2本塁打を放って32号。その時点で31本の門田を抜いた。

 その翌日。8月28日の朝刊で「南海身売り」のニュースが一斉に報じられた。これまでも身売りの話はたびたび出ていたから、ファンは「またデマやろ」と思いながらも、一抹の不安を抱くようになる。

35号を放った門田は「世界記録」と書き立てられた

 秋山のバットは32号を打ってから沈黙する。一方の門田は9月8日、大阪球場の近鉄戦で35、36号本塁打を打って秋山に4本差をつけた。門田の35号は前年、デトロイト・タイガースのダレル・エバンスが記録した40歳でのMLB記録である34本塁打を抜いた。メディアは「世界記録」と書き立てた。

 いよいよタイトルだと思った矢先の9月12日、南海ホークスの吉村茂夫社長がホークス譲渡の条件を身売り先に提示したことを一部報道陣に漏らす。これによって「身売り」が既定路線となった。9月21日、ダイエーへの身売りと福岡移転が正式に決まる。

 10月15日、大阪球場でのシーズン最終戦は、南海ホークス最後のホームゲームでもあった。

 32000人、超満員の観客の前で、南海は近鉄に6-4で勝った。門田は4番DHで1安打、現ソフトバンクホークス監督の藤本博史は8番三塁で2安打を放っている。筆者は三塁側内野席で南海ナインのプレーを見ていた。杉浦忠監督の「行ってまいります」の声が耳に残る。吉村社長には「お前もダイエーに買うてもらえー」というヤジが飛んだ。

44本塁打125打点の二冠王、MVPにも選出

 この年、門田は44本塁打125打点の二冠王、チームは5位だったもののMVPに選ばれた。

 南海最後の日の4日後には伝説の「10.19」、ロッテ対近鉄のダブルヘッダーが行われる。同時期に阪急ブレーブスのオリックスへの身売りも決まった。思えば何とあわただしい年だったか。そして元号も翌年、昭和から平成に変わるのだった。

 門田博光は福岡には行かなかった。「福岡は遠い」というセリフを残し、オリックスにトレードされる。不惑を過ぎて、家庭もあることから生活環境が変わるのを嫌ったのだろう。

【次ページ】 関西独立リーグの監督時代に見た“激しい闘争心”

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