酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「イチローを上回る打率.389+2年連続三冠王」のバース、「MLBは低評価→NPBで大活躍」のラミレス…「外国人の野球殿堂入り」の先駆けに
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2023/01/16 17:00
バースとラミレス。活躍した期間はそれぞれだが、日本球界に外国人スラッガーの魅力を周知させた功績は大きい
セイバーメトリクスの考えが浸透しつつあったMLBでは、出塁率が重視された。ラミレスはマイナー通算で.294の打率を残したが出塁率は.328でしかなかった。
1998年にインディアンスに昇格するも定着できず。チームには大スターのマニー・ラミレスがいて、アレックスは外野の控えだった。マニーは選球眼も極めて優秀だったが、アレックスは相変わらずの早打ちだった。
パイレーツを経て2001年にヤクルトに。チームには同じベネズエラ出身のロベルト・ペタジーニがいた。このシーズン、ヤクルトはリーグ優勝、日本一に輝きペタジーニはMVP。ラミレスはペタジーニがいる間は「弟分」という印象だったが、2003年、ペタジーニが巨人に移籍して以降は4番に座って本塁打王を1回、打点王を2回獲得。2008年に巨人に移籍すると2年連続MVPに輝く。
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ラミレスは好機で非常に勝負強く、2003年から8年連続で100打点、120打点もNPB最多タイの4回記録している。MLBでいう「RBIイーター」だったのだ。巨人では絶対的な4番打者だった。この間、2008年にはFA権を取得。「外国人枠」から外れる。
2012年に横浜DeNAに移籍、2013年にはMLB出身の外国人選手として初の2000本安打を記録した。
636打席で四球がわずか「19」だったシーズンも
ラミレスはNPBでも早打ちで、四球をほとんど選ばなかった。ヤクルト時代の2006年は636打席でわずか19個。NPBでの通算打率は.301だが、出塁率は.336。しかしNPBでは四球が少なく早打ちの打者は「積極性がある」と評価する考えもある。ラミレスのクセの強い打撃スタイルは日本で花開いたと言えよう。
横浜を退団後は独立リーグでの選手、指導者経験を経て2016年からDeNAの監督に。当時のベイスターズは戦力的に有力とは言えなかったが、やりくりをして5年でポストシーズンに3回出場した。投手を8番で起用するなどユニークな采配も目立った。またホセ・ロペス、エドウィン・エスコバーと同じベネズエラ出身の選手が活躍した。
筆者はハマスタの隣にある「東横イン」のロビーでコーヒーを飲みながら従業員と話すラミレスを見かけたことがある。スター選手になっても気さくで親しみやすいキャラだった。監督になってからも春季キャンプの昼休みには観客席を回ってファンと記念写真に納まっていた。
ファンは親しみを込めて「ラミちゃん」と呼んだものだ。