酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「イチローを上回る打率.389+2年連続三冠王」のバース、「MLBは低評価→NPBで大活躍」のラミレス…「外国人の野球殿堂入り」の先駆けに
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySports Graphic Number
posted2023/01/16 17:00
バースとラミレス。活躍した期間はそれぞれだが、日本球界に外国人スラッガーの魅力を周知させた功績は大きい
日本に来て2年間は通算62本塁打、77本を打ったブリーデンより少なく、当時は「並みの外国人」という印象だった。しかし3年目の1985年、バースは大爆発する。
この年の第1号が4月17日、甲子園での巨人戦・槙原寛己から打ったあの「バックスクリーン3連発」の1発目だった。5月まではヤクルトの杉浦享と15本で並んでいたが6月以降、一気に引き離す。10月20日には54本塁打を打ち、当時のNPB記録、王貞治の55本に1本差に迫った。
しかしバースは以後、四球攻めに遭う。10月24日、後楽園での巨人とのシーズン最終戦では、先発の斎藤雅樹が2打席連続で敬遠。焦ったバースは3打席目、高く逸れるボールをバットを伸ばして打って安打。しかし続く2打席も敬遠された。当時の巨人監督は王貞治。後味の悪い結末ではあった。
当時、甲子園は両翼96m、中堅119m、まだラッキーゾーンがあって100m以下のホームランも出た。しかしこの年のバースの54本塁打の内100m以下は1本だけ、場外も2本あり、堂々たる飛距離のアーチを放っていた。チームは優勝。バースは三冠王を獲得して文句なしのMVPに輝いた。
2年連続の三冠王ではイチローも超えられなかった打率を
そして翌1986年、バースは2年連続の三冠王を獲得する。この年もNPBの打撃記録に挑戦した。この年は打率だった。
<NPBのシーズン打率5傑>
1バース(阪神).389/1986年(453打176安)
2イチロー(オリックス).387/2000年(395打153安)
3イチロー(オリックス).385/1994年(546打210安)
4張本勲(東映).3834/1970年(459打176安)
5大下弘(東急).3831/1951年(321打123安)
史上最高の安打製造機イチローの挑戦をはねのけ、この年のバースの打率は今もNPBでは最高だ。この年のセ打率2位は、エキスポズでチームメイトだった巨人のウォーレン・クロマティ。打率.363を記録するも2位に終わった。これはシーズン2位における最高打率である。
バースが阪神でプレーしたのは6シーズンだが、タイトルを獲得したのは2シーズンだけ。短期間に驚異的な成績を残して殿堂入りを果たしたのだ。
NPBでは614試合2208打数743安打202本塁打486打点5盗塁、打率.337。
首位打者、本塁打王、打点王各2回、三冠王2回、最高出塁率2回、MVP1回、ベストナイン3回。
早打ちのラミレスはまずヤクルトで活躍した
バースとは対照的にNPBで長く活躍したのがアレックス・ラミレスだった。バースよりも20歳若い1974年生まれ。
ベネズエラ出身、1993年、18歳でインディアンスのマイナーに入団。彼も打率は高く長打力も目立っていたが、出世は遅かった。
ラミレスははっきりした「傾向」のある打者だった。早打ちで四球をほとんど選ばなかったのだ。