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「笑顔の記憶はほぼない」「最近は冗談を口に…」日本ハム移籍・田中正義の“もがき苦しんだ”6年間…現地記者の本音「期待、いや祈っていた」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/11 17:01
2016年、入団交渉でソフトバンクと契約合意した当時創価大の田中正義。近藤健介の人的補償で日本ハム移籍が決まった
昨年のシーズン前も目標を訊ねると「2桁勝利です」と言い切った。プロ1勝目すら挙げていなかったが、これまでの借りを返すとばかりに強い意気込みを口にしていた。春季キャンプでも猛アピール。藤本監督から再び「キャンプMVP」に選ばれた。
開幕ローテ入りはほぼ当確……のはずだった。しかし、開幕まで1週間を切った“最終調整”の登板で右肩に違和感を覚えて緊急降板。悪夢のようなリハビリ行きとなってしまった。
近くて遠かった「あと一歩」
結局、昨年も一軍昇格したのは8月になってから。その後、新型コロナ感染もありシーズンでは5試合のみの登板に終わった。
だが、登板機会は少なかったものの投球結果は決して悪くなかった。5回を投げて被安打2、三振は投球回を上回る6個を奪い、与四球0も光る。無失点投球で防御率0.00。WHIP0.40と走者はほぼ許さなかった。
オフの契約更改では「ようやく自分の足でしっかり歩いている感じがでてきた。着実に課題を詰めていけば、来年(23年)はやれる。地に足がつくというか、周りを気にせず1歩1歩を着実に」と話していた。
ソフトバンクに在籍した6年間、誰よりも田中自身が「今年こそは」と思っていただろう。そして彼の奮闘を見てきた筆者も、そう期待、いや祈っていた感覚に近い。“生真面目すぎるほど真っ直ぐ”な男はいつか必ず報われる。あと少しで花は開く、と。
田中はたしかに福岡で真価を発揮できなかった。それでも絶望の日々から少しずつ這い上がってきた歩みを周囲の人間は見ている。覚醒の瞬間はすぐそこまで近づいているはずだ。
プロ7年目を前に新天地へ。「あと一歩」を追う田中正義のプロ野球ストーリーは、北の大地に舞台を移す。
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