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「笑顔の記憶はほぼない」「最近は冗談を口に…」日本ハム移籍・田中正義の“もがき苦しんだ”6年間…現地記者の本音「期待、いや祈っていた」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2023/01/11 17:01
2016年、入団交渉でソフトバンクと契約合意した当時創価大の田中正義。近藤健介の人的補償で日本ハム移籍が決まった
2年目の18年はキャンプB組スタートもオープン戦で着実にアピールし、リリーフ要員で開幕一軍入りを果たす。しかし、10試合に登板して防御率8.56という散々な結果。夏場には体調を崩してしまい、1カ月近くチームを離れたこともあった。
3年目(19年)は春季キャンプで好調をアピールするも実戦が始まると右肩の張りを訴えて離脱。一軍登板は1試合のみ。4年目(20年)は右肘痛で一軍登板ゼロに終わった。
ブレイクする兆しは何度もあった。なのに、チャンスを掴めそうなところで突如壁にぶち当たる。技術以前にメンタル面で問題があるのでは……、などと囁かれることも少なくなかった。たしかに田中は生真面目すぎるほど真っすぐな性格だと言っていい。期待に応えられない自分に、不甲斐なさは当然感じていただろう。プロに入って最初の数年間で、彼の笑顔を見た記憶は殆どなかった。
成長の日々…昨季はローテ入り濃厚も
だが、迎えた5年目の21年春季キャンプ。B組スタートだった田中は朝の声出しで「僕は過去4年間の大半を、リハ(リハビリ組)とファームで過ごしております。しかし、今年は一軍で活躍できるという自信があります」と切り出した。
はっきりと、堂々と――。
それはプロ入り後初めて見た姿だった。球団スタッフらも「今年の田中は明るい」「最近は冗談を口にする。以前はそんな感じじゃなかった」と言っていた。
その理由を、田中は声出しの中で明かしていた。
「昨年(20年)のファームの最終試合。これは内川(聖一)さんのホークスでの最後の試合でもあったのですが、そこでクローザーとしてマウンドに上がらせてもらい、人生で1番良いボールを投げることができました。試合後に『4年間ありがとうございました』と挨拶に行くと、内川さんから『みんなが“オマエはできる”と思ってるのに、オマエだけがその可能性を閉ざしている』と言われました。僕はその言葉が嬉しかったですし、自信になりました。なので、まずは開幕一軍を目指して、一軍の戦力になれるように頑張ります」
この年のシーズン(21年)。自己最多を大きく更新する18試合に登板し、防御率2.16と安定した投球を見せた。さらにシーズンオフの11月の秋季キャンプでは、体作りと変化球の精度向上をテーマにトレーニングに励み、新監督に就任したばかりだった藤本博史監督から「投手陣のMVP」との評価を受けた。
確実に、潮目は変わっていた。