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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
東洋大「山の神」の1年後輩、“走れなかった主将”が明かす“10年目の真実”「監督から“あそこでお前を使えていたらな“と」「河村亮アナが寮にきて…」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNanae Suzuki
posted2023/01/09 11:01
現在は地元・山形のJAで働く齋藤貴志さん。山の神“ラストイヤー”優勝の翌年、主将を任された齋藤さんは三大駅伝を走ることが叶わなかった
「河村さんには前の年に取材をしてもらっていて、面識はあったんです。でも、わざわざ寮に戻ってきて、『齋藤くんはいますか』って。『メンバー落ちされたので心配してました』って慰めに来てくれたんですね。正直、もう日の目を見るような選手ではないんですけど、それでもこうして声をかけてくれる人がいるのが嬉しくて。それでまた頑張んなきゃなって思いました」
その河村アナは昨年5月、脳出血で死去。訃報をニュースで知った齋藤は、ツイッター上でこのエピソードを紹介し、感謝の言葉を綴った。
箱根で走れたことが人生の大きなターニングポイント
大学での4年という歳月を、齋藤は陸上一筋に捧げた。三大駅伝で唯一走ることができたのが3年生の箱根駅伝だったが、アンカーで優勝テープを切るという鮮烈な印象を残した。そのことは後の人生にどんな影響を与えているのだろう。
「今でもお客さんから『箱根を走ったお兄ちゃんでしょ』って言われますし、お酒を飲んでいて声をかけられたりもします。良い意味で、あそこで走れたことが人生の大きなターニングポイントだったなって思います」
最後の箱根に出場できても、できなくても、選手としての陸上は大学で辞めると決めていた。卒業後は、地元山形に戻り消防士として働いていたが、不規則な生活で何度か体調を崩したのを機に転職を決意。今はJAあまるめの職員として共済保険を扱いながら、余暇を利用して母校である余目中学の陸上部コーチを務めている。
年々強くなる指導への思い。その理由は…
陸上が心の底から好きなのだろう。今後の目標について訊ねると、「独身なので結婚ということにしておきましょうか」と笑わせた上で、マジメな表情に戻ってこう応えた。
「教え子の中には全国に行きたいと話す子もいて、なんとか今年は全中(全国中学校体育大会)に出られるような選手を育成したいと思ってます。最初はコーチをする気もなかったのに、不思議ですよね。生徒たちと触れあっていく中で、指導への思いが年々強くなっている気がします。それもきっと、良い指導者たちにめぐり合えてきたからでしょうね」
勝つ喜びだけではない。走れなかったときの悔しさも、チームを引っ張ることの難しさも、齋藤はよく知っている。主将としてチームを陰で支えた経験が、なによりの糧になっているはずだ。きっと今後も良き指導者となり、鉄紺の襷を後進へとつないでいくのだろう。
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