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「普通の高校に行く」はずが…浅野拓磨の才能が発掘された日、前田大然が“サッカー部除籍”で改めた心構えとは〈日本代表の青春時代〉
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2023/01/06 17:00
谷口彰悟、浅野拓磨、前田大然。高校サッカーからW杯日本代表へとたどり着いた
大阪府出身の前田は、選手権優勝校である山梨学院高校へと入学する。1年時からそのスピードは卓越したものがあり、とんとん拍子で主力となったのだが……部員仲間1人と、チームの規律を乱す行為をしたとしてサッカー部から除籍の処分を言い渡されてしまったのだ。
当然、部の寮から出ていくことになり、学校近くのアパートに住みながら授業に出席するしかない日々。サッカーのために越境してきたはずがボールも蹴れない日々が続いたという。ただ前田は自省し、校内の掃除など自分にできることをこなして学校生活を過ごしていたそうだ。
「それまではヤンチャなこともしていましたし」
そんな状況の中で前田らしい“自主練”エピソードがある。
「朝練は学校の近くに山があって、サッカー部で走る道があったので、そこを走って登ったり。グラウンドの周りを走ることもありました」
持ち前の走力をさらに磨くきっかけになった……かは本人のみぞ知るだが、その真摯さを確認した吉永一明監督(当時)は高2の秋頃、地元の社会人チームを前田に紹介し、ボールを蹴る機会を与えた。そして除籍から1年、前田はチームに戻り、高校3年時のプリンスリーグ関東では12ゴールをあげて得点王に輝くなど結果を残した。
「それまではヤンチャなこともしていましたし、ピッチ内外で本当に自分のことだけしか考えていなかったですから。(中略)もしみなさんの助けがなければ、いま僕はこういう場所にいられなかった。あの1年で自分ひとりでは何もできず、たくさんの支えのなかでプレーできること、チームのために走ることの大切さを学ばせてもらいました。それが、必然的にいまのプレースタイルにつながったという感じですかね」
高校時代の蹉跌があるからこそ、前田は日本代表でも、現在所属するセルティックでも絶えずスプリントし続けられているのだろう。
<つづく>
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