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「普通の高校に行く」はずが…浅野拓磨の才能が発掘された日、前田大然が“サッカー部除籍”で改めた心構えとは〈日本代表の青春時代〉
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2023/01/06 17:00
谷口彰悟、浅野拓磨、前田大然。高校サッカーからW杯日本代表へとたどり着いた
浅野は「ずば抜けたスピードを持っていた。しかも」
<名言2>
最初は普通の高校に行ってサッカーをやろうと思っていたけど、熱意を感じたし、四中工でやってみたいと思ったんです。
(浅野拓磨/NumberWeb 2015年12月9日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/824702
◇解説◇
カタールW杯ドイツ戦、値千金のゴールを叩き込んだのは浅野拓磨だった。
堂安律の同点ゴールで1-1とした日本は、“ドローでも十分”な状況に持ち込んでいた。その考えをいい意味で吹き飛ばしたのは83分のことだった。
板倉滉から大きな弧を描いたロングボールが前線に放たれると、浅野がドイツのオフサイドラインを破りつつ、絶妙のファーストタッチを見せる。そこから追いすがるシュロッターベックをいなしながら、ノイアーがわずかに空けた“ニア上”を打ち抜き、決勝ゴールをゲット。あまりにも大きい勝ち点3をもたらした。
浅野はチームの命運を決める大事な一戦でことごとくゴールを陥れてきた。リオ五輪アジア最終予選日韓戦、ロシアW杯最終予選オーストラリア戦、2015年Jリーグチャンピオンシップ決勝セカンドレグなどだ。
その大舞台の強さを世間が発見するきっかけとなったのは「選手権」だった。四日市中央工業高校(四中工)1年時から3年連続で全国高校サッカー選手権に出場すると、2年生で迎えた第90回大会では初戦から決勝戦まですべての試合でゴールを奪い、得点王に輝いたのだ。
冒頭の言葉通り、中学生の浅野は強豪校でプレーする意識はなかったという。しかし四中工を率いていた樋口士郎は中学時代の浅野を見て、こう感じていた。
「当時から彼はずば抜けたスピードを持っていた。しかも、スピードタイプにありがちな、ボールが収まらなかったり、顔が上がらないというデメリットが彼にはそれが無かった。絶対に将来大成する存在だと思った」
その才能を買って熱心に誘い、浅野は四中工へと入学した。そこから樋口は浅野に向けてストライカーとしての意識を徹底して叩き込んだ。もしこの2人の出会いがなければ……ドイツ戦のジャイアントキリングも生まれなかったのかもしれない。
前田大然が“サッカー部除籍”を言い渡された日
<名言3>
あの“1年”がなかったら、僕はいまこうしてサッカーをしていなかったと思います。
(前田大然/NumberWeb 2022年7月24日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/854022
◇解説◇
W杯で日本代表の守備戦術の“先鋒役”となったのは前田大然だった。圧倒的なスプリント能力を生かしたハイプレスで相手守備陣にプレッシャーをかけ続けたからだ。スペイン戦ではGKウナイ・シモンに対する前田のプレスが契機となり、堂安律の同点ゴールを呼び込んだのがその象徴と言えるだろう。
最終的に敗れはしたものの、クロアチア戦でセットプレーのこぼれ球が前田のもとに転がり、W杯初ゴールを奪えたのはその献身ぶりのご褒美だったのかもしれない。
そんな前田もまた、高校サッカー育ちだ。ただ多くの日本代表選手と違うのは、紆余曲折あった経歴である。